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卒業生のカホさん、ヨウさん(共に論系ゼミ4期生)と11時半に蒲田駅で待ち合わせ、池上へ。

12時にカフェ「HITONAMI」を予約しておいた。

カフェだけど、私は食事処としての利用が多い。

私は豆乳のカフォオレ。

2人はホットジンジャー。

本門寺を後にする。

蒲田に移動。

「まやんち」を3時に予約しておいた。

蒲田駅の改札で人を見送り、「有隣堂」で本を買う。

 斎藤孝『ネット断ち』(青春出版社

 榎本博明『孤独』(クロスメディアパブリッシング)

 吉藤オリィ『サイボーグ時代』(きずな出版)

ノザワBAKE」に顔を出す。

夕食はラムチョップ、サラダ、栗きんとん、柚子大根、味噌汁、ご飯。

ラムチョップの付け合せは蓮根とちじみほうれん草のソテー。

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 早稲田大学(東京都新宿区)のそばにある麻雀マージャン店「早苗」が、来月2日に雀荘としての営業を終える。オープンから69年。学生のたまり場として愛されてきたが、近年は学生の麻雀離れで客足が鈍っていた。これからは喫茶・バーとして、再び学生が集まる店づくりを目指す。

 1950年にオープンした「早苗」は、多くの学生が行き交う早大南門の向かいにある。木造モルタル2階建ての2階部分が麻雀コーナーだ。昭和の頃から使っている全自動卓が4台。1時間120円の学生料金は30年前からほとんど変わらない。

 2代目店主の宇田川正明さん(60)は「かつては卓が10台もあって、授業そっちのけで没頭する学生たちであふれていたんだけどね」と振り返る。

 宇田川さんの両親が自宅に雀卓じゃんたくを置いて営業を始めると、すぐに学生でにぎわうようになった。店を切り盛りしていた母・とわさんが、「おばちゃん」の愛称で親しまれる明るい人柄だったことも、人が集まる理由の一つだった。

 早大OBの漫画家やくみつるさんも在学中に足しげく通い、早大出身の俳優吉永小百合さんが訪れた写真もある。学生運動が激しかった頃は、警察官に追われて店に逃げ込む若者もいたという。

 宇田川さんも早大出身。授業を終え、当時は自宅スペースだった2階への階段を上がろうとすると、なじみの客から「おい、一緒にやろう」と誘われ、麻雀ざんまいの日々だった。就職活動で広告会社の面接に行くと、面接官は店の常連客。話が盛り上がり、そのおかげか、内定をもらって入社することになった。

 「店に来れば誰か知り合いがいるという感じだった」。宇田川さんがそう振り返る状況は、90年代後半から変わってきた。学生にも携帯電話が広まり、待ち合わせや暇つぶしに来店する学生が減少。麻雀のルールを知らない学生や、ゲームでしか麻雀をやったことがない学生も目立つようになった。

 宇田川さんは、母のとわさんが10年前に82歳で他界してしばらくたってから、広告会社をやめて店を継いだ。しかし、雀荘だけでの経営は厳しく、3年前に店内を大幅に改装。1階を喫茶・バーに変え、麻雀ができるコーナーは2階に移した。

 それでも雀卓が客で埋まることはまれで、稼働率は1割ほど。やむなく雀荘の廃業を決めた。麻雀コーナーは、多くの学生が春休みに入る2月2日が最後。その後は店内を全て喫茶・バーに改装する。

 早大周辺に30軒ほどあったとされる雀荘も、わずかになった。宇田川さんは、アクリル板を敷いた雀卓をテーブル代わりにしてコーヒーやカクテルを味わってもらおうと考えており、「麻雀を知らない学生にも、連絡手段がなかった昔は学生が交わる場だったということを感じてもらいたい」と話している。

東京メトロ早稲田駅を出て、大隈講堂に向かって歩くと早稲田高校の向かいに赤いビニール製のひさし看板が見える。老舗ラーメン店・メルシーだ。

創業1958年、昔ながらの大衆食堂で、名物の「もやしそば」(420円)は今でも早大生をとりこにしている。数々の有名人が愛したことでも知られていて、タモリ堺雅人橋下徹は今でも食べに来るという。

大学について語るときに欠かせないのが学生街だ。早稲田は都内有数の学生街で、「安い」「旨い」「ボリューム満点」と三拍子そろった飲食店が数多く営業していることで知られてきた。

大学が変わっていく中、何年も学生の胃袋を支えてきた名店たちはどうなっているのだろうか。

メルシー店主の小林一浩さん(57歳)に、今の早稲田について聞いた。

「今はアカぬけた学生さんが多いですね。昔は貧乏学生ばかりで、汚い学ランを着たり、下駄を履いた子もいました。たいてい大人数で来てガヤガヤと騒がしかった。団体で来て、一人だけ会計をしないで食い逃げする子もいたくらいです。

今は一人で来る客が多く、ずっとスマホをいじっていますね」

若干の値上がりはしたものの、ここ30年近く味もボリュームも変わっていない。しかし、変わった部分もあるという。

「お客さんの数は昔よりだいぶ減りました。学生さんに喜んでもらうため、今後も値段や量は変えずにやっていきたいですね。最近は留学生の方も増えたので、英語のメニューを作ったり、中国語を話せる従業員を雇ったりもしています」(小林さん)

メルシーから大学までの通学路にあるぷらんたんも創業60年以上の老舗。早大南門通りに構えるこの店は、自家焙煎珈琲の香りが漂う昭和レトロな喫茶店だ。

「チェーン店の進出は、早稲田の街を大きく変えました。昔からの店はどんどんなくなっていますね。ドトールやスタバと正面から勝負しても勝てないので、とにかく学生さんファーストでやるしかない。

2階のスペースは好きに使っていいよ、と伝えています。学生さん自身で過ごしやすい雰囲気を作ってほしいですね。そのコンセプトは創業から変わっていません」(店主・前田広喜さん)

早大南門通りには、雀荘・早苗もある。1950年創業の早苗は2年前にリニューアルして、今では1階にカフェとバーを併設している。かつては吉永小百合が見学に訪れたことも。店主の宇田川正明さん(59歳)は、店の前を通り過ぎる学生を横目に現状を語った。

「'60年代は連絡手段がなかったので、たまり場が必要でした。学生さんにとっては、それが喫茶店だったり雀荘だったりしたんですね。

今だったらLINEやメールで待ち合わせ場所なんて決められますが、当時は、早苗に行けば誰か知り合いがいるという感じでした。

ウチの場代はほとんど変わっていません。今でも1時間120円で遊べますよ。ただ、今の学生さんは真面目になったせいか、麻雀もやらなくなったし、大人しい。早稲田の街も、老舗がどんどんなくなっています。後継者不足も大きいでしょうね」

かつては大学の周りに30軒以上あった雀荘も、今では2軒しかない。

以前、早大南門通りにあったが、4年前に閉店したタンメン屋・稲穂の長谷川正子さん(80歳)も最近の早大生の「真面目さ」について、こう指摘する。

「今の学生は、真面目によく勉強していますね。昔は、学校にも行かず、一日中雀荘で過ごして留年する子も多く、よく出前をしましたよ。今は麻雀するにも、そもそもルールを知らない人が多いから、メンツが揃わないみたい」

そして、学生の食べる量にも変化があるという。

「昔、常連にはタンメンにご飯をサービスでつけていました。応援団や、早稲田精神昂揚会(バンカラ精神を昂揚するためのサークル)の学生は喜んでモリモリ食べていましたね。が、体型を気にしているせいか、今の学生はそんなに食べてくれません」(長谷川さん)

老舗から客足が遠のく理由は、学生だけが原因ではない。大隈通り商店街で40年近く店を構えるキッチンブンは、ハンバーグが人気の洋食店だ。店主の飯田文雄さん(67歳)は、こう説明する。

「構内にコンビニが入った影響は大きいですよ。外に出てご飯を食べなくなりましたからね。

あと、授業時間も関係しているでしょうね。20年前は、8時半始業で、11時半には午前の授業は終わりでした。お昼休みが1時間半もあったんです。だから、その時間は3回転はしたんだけど、今は12時10分ギリギリまで授業をしています。昼休憩も50分しかないから、せいぜい2回転しかできない。

大学の昼休憩の変化は、このあたりのお店に大打撃でしたね。大隈通りに70軒近くあったお店も今では20店舗くらいしかありません」

昼食に来る学生はというと、国際色豊かになってきているという。

「おカネに困っている留学生もいると思いますよ。たまにウチでもお客さん全員が外国の人っていうこともある。そこから常連になってくれて店内が賑わうと、昔の学生が来てくれた頃を思い出すな。ついつい大盛りにしちゃうこともあります」(飯田さん)

今では、日本人の学生よりも留学生との交流を深めている飲食店は少なくない。大学の中央図書館の近くにあるキッチンミキの店主・山内康行さん(51歳)に聞く。

「韓国からの留学生がよく来ます。ウチのメニューで韓国風ハンバーグというものがあるんですが、彼らに調味料などを聞いて作ったのがきっかけです。アドバイスをもらいながらメニュー化しました。今では定着して、けっこう注文があります」

今の早稲田の商店街をかろうじて支えているのは、実は留学生なのかもしれない。

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