『南洲伝』覚書(4)ー明治天皇と西郷南洲。 征韓論論争の山場は、太政大臣=三条実美の「 急病」であった。三条は、明治6年、3月18日、急病で、意識不明の人事不省に陥る。三条は、西郷等の征韓論推進派と、岩倉・大久保等の反征韓論と https://t.co/RJa4LOpvm2
— 山崎行太郎の毒蛇山荘日記 (@yamazakikoutaro) 2019年5月4日
明治天皇は、大久保利通等の思惑通りに、三条邸を訪れ、見舞った後、岩倉具視邸まで足を伸ばし、三条実美に代って、正式に岩倉具視に代理を命じる。私は、この「三条実美急病 」に、あまりにも不謹慎厨かもしれないが、幕末の「孝明天皇急死事件 」を連想する。この「 孝明天皇急死事件」にも、岩倉具視と大久保利通が絡んでいると見られているが、「 三条急病」にも、岩倉具視と大久保利通が何らかの形で関わっていたのではないか、と私は思っている。三条実美が倒れた夜は、西郷が三条邸を訊ねて、夜明けまで議論している。そしてその日は、西郷等の主張する「 使節派遣」を、三条太政大臣は、天皇に奏上する予定だった。西郷が三条邸を引き揚げた後で、三条実美は倒れた。西郷が、激しく三条実美を追求したことも事実だろう。しかし、あまりにもタイミングが良すぎる。西郷等の強気の攻勢に、崖っぷちに追い詰められていた大久保利通は、この前後、「一つの秘策あり 」と周辺に漏らしていた。大久保のいう「 秘策」とは何だったのか。明治天皇を巻き込む「秘策 」だったと、私は 想像する。