ブログ、YouTube、SNSの発信活動が続けられる人とそうではない人の違い (両角達平) https://t.co/o7xlKw3KsQ
— BLOGOS編集部 (@ld_blogos) 2019年6月13日
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いざ表現欲求に基づき初公開後、しばらくするとそのアクセスの少なさから「叩かれるのではないか?」がいらぬ心配だったことに気づかされるのです。そして「どうせ誰も読んでないじゃん!」という開き直りがあるからこそ気にせず更新を続けられるようになります。その中で自分が発信・表現している意味を問い続けるのです。
その後、発信者が続ける理由は「記録」に落ちつことが多いように思います。それから発信回数の頻度が高まると徐々に、旅行まとめをしたり、グルメ情報を届けたりと、どんどんできることが広がるようになります。そのうち 大きな話題にも物申すことにも動じなくなります。それらを全部ひっくるめて「表現」となるのです。
発信の「ビジネスの戦略」としてこう手札を増やしているのではなく、単純に「表現したい」からなのでいいのではないでしょうか。内発的動機付けに従う「表現活動」を、外的動機付け(金儲けなど)でビジネス化するということは、モチベーションのバージョンをひとつ下げるということ。そしたら発信者も作品自体もつまらなくなってしまうかもしれません。
フェイスブックCEOの「ディープフェイク」動画が議論 #nhk_news https://t.co/fzAevhg70i
— NHKニュース (@nhk_news) 2019年6月13日
この動画はAIを使ってアメリカのアーティストらが作り、フェイスブック傘下のインスタグラムに投稿したもので、フェイスブックのザッカーバーグCEOが「一人の男が数十億人の秘め事や暮らしに関する個人データをコントロールできるのはアーティストのおかげだ」と述べています。
こうした本物と見分けがつかないほど巧妙な偽の動画を作る技術は「ディープフェイク」と呼ばれ、広がることが懸念されていて、この動画も実際には2017年に放送されたインタビューをもとに作られたものとみられています。
フェイスブックはこれまでのところ動画を削除していませんが、先月、トランプ大統領と対立する野党民主党のペロシ下院議長のフェイク動画が広がった際にフェイスブックが削除に応じなかったことから、会社トップのフェイク動画の対応に注目が集まっています。