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 「バカな戦争でした。どれだけの人の命を奪ったことか。特に若い人の命を……」。旧満州(現・中国東北部)で生まれた山口さんは、ため息をついた。朝日新聞が所蔵する戦前・戦中の大陸の写真を見て、思い出を語る取材だった。

 山口さんは、国籍を隠して「日本語の得意な中国人女優」の触れ込みで満州映画協会(満映)で活躍。敗戦後は日本に戻って本名で女優活動を再開し、シャーリー・ヤマグチの芸名でハリウッド映画にも出演した。チャプリンやジェームス・ディーンとも親しく、54歳から自民党参議院議員を3期務めた。

 大陸で自分が演じた役回りに、戦後も複雑な心情を抱いていた。

 北京の女学生だった1936年、友人と抗日集会に参加して「日本軍が北京に攻めてきたら」と問われると、「城壁の上に立ちます」と答えた。日中両軍の「弾のどちらかに当たり、私が一番先に死ぬだろうし、それが一番自分にふさわしい」と考えていたという。

 同じく日中のはざまで過酷な運命をたどったもう一人の「ヨシコ」を終生、気にかけていた。清朝の王族ながら軍服姿で日本の諜報(ちょうほう)活動に身を投じ、「男装の麗人」と呼ばれた川島芳子(1907~48)だ。

 川島は日本人と養子縁組していたが、敗戦後に公的書類でそれを証明できず、漢奸(かんかん)(売国者)として銃殺された。一方、山口さんが帰国できたのは、戸籍で日本国籍が証明されて処刑を免れたからだった。

 山口さんはインタビューで、川島がまだ清王朝家の王族で9歳だった時の写真を見て、こう語った。清朝の血筋を引きながら日本人として育てられた彼女は中国籍のため処刑され、中国人名で活動していた私は日本国籍が証明されて生き残りました。戸籍という紙切れ1枚が、2人のヨシコの運命を分けたのです。時代の残酷さを感じずにはいられません」

李香蘭大神は、元々普通の人間ではなく、神格がとても高い。

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吾嘗て大勇のことを夫子に聞けり。自ら反みて縮からずんば(なおからずんば)、褐寛博と雖も吾惴れ(おそれ)ざらんや。自ら反みて縮ければ(なおければ)、千万人と雖も吾往かんと。

気概があって、節操の堅いこと。気骨。

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