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 長崎さんにとってもうひとつ大きかったのが、入団早々沖山コーチの指令で毎日配球ノートをつけ始めたこと。

「日付、球場、天気、風向き、バッテリーを書き、9つのマス目にすべての配球と投手のクセを記していく。最初は言われるがままに書いていたところ、わずか1か月で相手の配球が読めるようになりました。この一件で沖山さんについていこうと思いましたね。沖山さんは押し付けではなく、選手のいい部分を引き出そうとする。ひとつの形に嵌めようとするコーチが多かった時代に、とても珍しい教え方をされていたんです」

 2年目の1974年、長崎さんは80安打13本塁打、打率.356をマークし、シーズン3本ものサヨナラ弾を放つなど一気に才能を開花させる。そして、この活躍にはもうひとつ大きな出会いが関係していた。その年に稀代の大打者、大下弘さんがコーチに就任したのだ。

「大下さんも細々と教えるのではなく、自分で打って見せていい所を真似しなさいと言うタイプの指導者です。大下さんは当時50歳を過ぎてましたが、構えからバットの出方など実に柔らかく力が抜けた理想的なフォームで、僕はそのイメージ通りに打席で振ろうとしていました。だから僕のフォームは基礎を沖山さんが作り、大下さんが進化させてくれたと思っています」

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