小林秀雄とマルクス(5)。・・・「実践」とは何か。 フォイエルバッハの唯物論哲学を 「実践」を伴わない観念論だと批判し、実践的唯物論を主張する(『フォイエルバッハに関するテーゼ 』)マルクスだが、その実践的唯物論の「実践」を「思考と実践」、あるいは -
— 山崎行太郎▶Youtube動画『反 =論壇時評』を開始。チャンネル登録をよろしくお願いします。 (@yamazakikoutaro) November 11, 2019
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マルクスの「実践」は、現実的生活の次元での具体的な、肉体的な 、「行動」のみを言うのではない。政治運動や革命運動・・・等のような「実践」が実践のすべてではない。マルクスの言う「実践」には、「思考の実践」 、つまり「実践的思考」も含まれている。マルクス自身が「図書館」や「書斎」の人であって、いわゆる実践的な政治活動や革命運動の人ではなかった。『共産党宣言 』では、「万国の労働者よ、団結せよ」と呼び掛けて、革命運動へと扇動しているがかのように見えるが、マルクス自身は積極的に、革命運動に参加し、たとえばレーニンのように実践的革命家として活動したわけではない。マルクスの言う「実践」は、「実践的思考」の色彩が強い。
《 マルクス は理論と実践とが弁証法的統一のもとにあるなどと説きはしない。その統一を生きたのだ。マルクス のもった理論は真実な大人のもった理論である。》(『 マルクスの悟達 』)
d1021.hatenadiary.jp
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独自の内観法を父親から学び、形而上学的・神秘主義的な原体験を得た。その後、西洋の神秘主義も同じような感覚を記述していることに気付き、古今東西の形而上学・神秘主義の研究に打ち込んだ。