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23日夜、日本に到着したフランシスコ教皇は24日、被爆地の長崎市広島市を相次いで訪れます。

午前9時半ごろ、フランシスコ教皇は東京から特別機で長崎空港に到着し、長崎市や教会関係者らの出迎えをうけたあと、警察の車両に先導されて市内の爆心地公園に向かいました。

長崎市は雨が降りしきるあいにくの天気ですが、沿道では、フランシスコ教皇を乗せた車が通ると、地元の人たちが傘をさしながら日本やバチカン、それに教皇の出身地であるアルゼンチンの国旗を振って歓迎していました。

フランシスコ教皇は爆心地公園で花を手向けたあと、原爆の犠牲者のために黙とうし、核兵器の廃絶に向けてスピーチをします。

続いてフランシスコ教皇は、西坂公園を訪れて信仰を貫いて殉教した「日本26聖人」に祈りをささげたあと、長崎県営野球場で3万人規模のミサを執り行い、夕方には再び特別機でもう1つの被爆地・広島に向かいます。

長崎と広島への訪問に先立ちフランシスコ教皇は23日夜、日本の司教団らに「人類史に残るあの悲劇の傷に今なお苦しんでいる人々に会いたいと思う」と話し、被爆地への訪問に強い意欲を示していました。

就任以来、核廃絶に向けて積極的に取り組んできたフランシスコ教皇被爆地から世界にむけて何を訴えかけるのか注目されます。

A spokesperson for the United Nations has expressed hope that messages by Pope Francis from Nagasaki and Hiroshima will support efforts for nuclear disarmament.

Stephane Dujarric made the comment at a news conference on Friday, two days before the pope travels to the two atomic-bombed Japanese cities.

Dujarric said the impact of the visits will be "very symbolically strong."

He said UN Secretary-General Antonio Guterres visited Nagasaki on August 9 of last year and delivered a message on the need to see a world without nuclear weapons. Dujarric added the more voices in that direction, the better.

Guterres became the first UN chief to attend an annual ceremony in Nagasaki to mark the 1945 atomic bombing of the city.


23日夜、日本に到着したフランシスコ教皇は24日、被爆地の長崎市広島市を相次いで訪れます。

午前9時半ごろ、フランシスコ教皇は東京から特別機で長崎空港に到着し、長崎市や教会関係者らの出迎えをうけたあと、警察の車両に先導されて市内の爆心地公園に向かいました。

長崎市は雨が降りしきるあいにくの天気ですが、沿道では、フランシスコ教皇を乗せた車が通ると、地元の人たちが傘をさしながら日本やバチカン、それに教皇の出身地であるアルゼンチンの国旗を振って歓迎していました。

フランシスコ教皇は爆心地公園で花を手向けたあと、原爆の犠牲者のために黙とうし、核兵器の廃絶に向けてスピーチをします。

続いてフランシスコ教皇は、西坂公園を訪れて信仰を貫いて殉教した「日本26聖人」に祈りをささげたあと、長崎県営野球場で3万人規模のミサを執り行い、夕方には再び特別機でもう1つの被爆地・広島に向かいます。

長崎と広島への訪問に先立ちフランシスコ教皇は23日夜、日本の司教団らに「人類史に残るあの悲劇の傷に今なお苦しんでいる人々に会いたいと思う」と話し、被爆地への訪問に強い意欲を示していました。

就任以来、核廃絶に向けて積極的に取り組んできたフランシスコ教皇被爆地から世界にむけて何を訴えかけるのか注目されます。

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇を乗せた車は、午前10時13分に長崎市の爆心地公園に到着しました。

フランシスコ教皇は、記念碑の前で被爆者から花を手渡されました。フランシスコ教皇は受け取った花を記念碑に手向け、頭を下げて30秒以上、祈りをささげげました。

そして、一度正面を向き、今度は手を合わせて30秒ほど祈りました。

その後、フランシスコ教皇はろうそくに火をともしました。

ローマ教皇として38年ぶりに日本に滞在しているフランシスコ教皇は24日朝、長崎市の爆心地公園を訪れました。

雨が降りしきる会場では、レインコートを着て待ち受けていた参加者が見守るなか、フランシスコ教皇は、平和の記念碑の前で深々と頭をたれて献花し、犠牲者に黙とうをささげました。

このあとスピーチを行ったフランシスコ教皇は「この場所は私たち人間がどれだけひどい苦痛と悲しみをもたらすかを深く認識させる」と述べて核兵器の非人道性を強く非難しました。

そして「核兵器大量破壊兵器を持つことは平和や安定につながらずむしろさまたげになる」と指摘し、核兵器を持つことが安全保障につながるという考えは、恐怖と相互不信に基づく誤った認識だとして批判しました。

そして、核兵器禁止条約を含め核兵器と軍備の削減に向けて各国に引き続き働きかけていく考えを示しました。

さらに武器の製造や開発に多額の費用が費やされるのは「途方もないテロ行為」だとしたうえで、貴重な財源は貧困対策や自然環境の保護にこそ使われるべきだとしています。

そのうえで、フランシスコ教皇は「新しい兵器の技術開発が進む中でわたしたちは多国間主義の衰退が事態を深刻化させているのを目の当たりにしている」と述べ国家間の相互不信の広がりが、兵器を規制する国際的な取り組みを崩壊させかねず、食い止める必要があると訴えています。

そして「核兵器から解放された平和な世界こそが、数え切れない全ての人が強く求めるものだ」と述べ、核兵器のない世界の実現に向けて核の保有国、非保有国をとわず各国政府をはじめ、全ての人が一致団結して取り組むことを呼びかけました。

長崎県の中村法道知事は「教皇には、『真の平和を実現するためには多くの人たちが一緒に力を合わせて信頼を築き上げていかなければならない』という考え方を、被爆地、長崎から発信していただけた。これまでも長崎は『長崎を最後の被爆地に』という思いを込めて、核兵器の非人道性や悲惨さを訴えてきた。これからも世界のリーダーに、こうした被爆の実態を知ってもらうことによって、核兵器を二度と使ってはならないという思いを共有してもらえるように努力していく」と話していました。

長崎県の中村法道知事は「教皇には、『真の平和を実現するためには多くの人たちが一緒に力を合わせて信頼を築き上げていかなければならない』という考え方を、被爆地、長崎から発信していただけた。これまでも長崎は『長崎を最後の被爆地に』という思いを込めて、核兵器の非人道性や悲惨さを訴えてきた。これからも世界のリーダーに、こうした被爆の実態を知ってもらうことによって、核兵器を二度と使ってはならないという思いを共有してもらえるように努力していく」と話していました。

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇長崎市の爆心地公園でスピーチを行い、「この場所は私たち人間がどれだけひどい苦痛と悲しみをもたらすかを深く認識させる」と述べて、核兵器の非人道性を強く非難しました。そのうえで「核兵器大量破壊兵器を持つことは平和や安定につながらずむしろさまたげになる」と述べて核兵器のない世界の実現に向けて各国政府をはじめ、全ての人が一致団結して取り組むことを呼びかけました。

冒頭で、被爆者とその家族が受けた苦しみに思いを寄せたあと、「人々が、心の中で最も深く望んでいることのーつは、平和と安定です。しかし、核兵器大量破壊兵器保有していてはこの望みに応えることはできません。それどころか、私たちを絶えず試練にさらすことになるのです」と述べ、核兵器保有に強く反対する姿勢を示しました。

そして、今の世界の現状について「私たちは今、手に負えないほど分裂した世界の中で、平和や安定を求めています。その足元では、恐怖や相互不信がはびこっていて、これが人と人の関係をむしばみ、互いに対話することを阻んでいるのです」と述べ、懸念を示しました。

そして、フランシスコ教皇は、被爆地である長崎について触れ、「長崎は、核兵器が環境と人間に対していかに悲劇的な結末をもたらすかを示す証人です。しかし、軍拡競争に反対する声はわずかです」と述べ、被爆地の訴えに耳を傾けるべきだと強調しました。

さらに、本来、貧困対策や自然環境の保護に使われるべき費用が武器の製造や開発など軍備に費やされているのは「途方もないテロ行為だ」と強く非難しました。

そのうえで「核兵器から解放された平和な世界こそが、数え切れない全ての人が熱望するものです。この願いを実現するには、全ての人が理想の実現に向けて取り組む必要があるのです」と述べ、各国政府に核兵器をなくす取り組みを一致団結して進めるよう訴えました。

フランシスコ教皇は、国家間の相互不信が核兵器を規制する国際的な枠組みを脅かしているとしたうえで、「私たちは、多国間主義が衰退するのを目の当たりにし、最新兵器の技術開発が進むなかでは非常に深刻な状況にあるのです。あらゆる国のリーダーがいますぐこの問題に注意を払い、取り組むべきなのです」と述べて、各国のリーダーに対し、多国間で核兵器の問題に取り組むべきだと訴えました。

フランシスコ教皇はスピーチの中で、バチカンがおととし、いち早く批准した核兵器禁止条約について「カトリック教会としては、核兵器禁止条約を含め核兵器と軍備の削減に向けてこれからも働きかけを続けていきます」と述べて、各国に引き続き参加を呼びかけていく考えを示しました。

そして「お互いの合意を求め、粘り強く対話を呼びかけていくことが私たちの武器でありますように」と述べ、国際社会の連帯を呼びかけました。

そして、フランシスコ教皇は改めて、「核兵器のない世界が可能であり、必要であるということを確信しています。政治リーダーの方々、核兵器は国際社会や国家の安全保障を脅かすものから私たちを守ってくれるものではないということを心に刻んでください」と訴えました。

さらに「核兵器の使用が人と環境に及ぼす壊滅的な破壊をもたらすということを考えなくてはなりません。核兵器による平和理論は捨てる必要があります」と強調しました。

フランシスコ教皇は「核兵器や核開発、それに環境問題などの解決のためには、相互の発展と信頼関係を築くこと、そして世界のリーダーの協力を得ることが重要です。さらに、私たち一人一人の関わりも求められています。多くの人の苦しみに無関心であってはいけません」と述べました。

フランシスコ教皇は、最後に、みずからの名前の由来である、聖フランシスコにちなむとされる「平和を求める祈り」とよばれる祈りをささげました。

そして、「この祈りが私たち全員の祈りとなることを確信しています。無関心に流され、過去の過ちを繰り返さないようこの場所を記憶にとどめましょう」と述べてスピーチを締めくくりました。

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、24日午前、長崎市の爆心地に続いて、豊臣秀吉伴天連追放令に背き1597年に処刑された外国人宣教師や日本人の信者、「日本26聖人」の殉教地、西坂公園を訪れました。

そして公園内にある記念館の前の館長で、フランシスコ教皇の日本訪問を呼びかけてきた、修道士のアントニオ・ガルシアさんらの出迎えを受けました。

フランシスコ教皇は、迫害を受けながらも代々、信仰を守り続けてきたカトリック信者から受け取った花輪を手向けたあと、祈りをささげました。

そして、フランシスコ教皇は「日本26聖人」に敬意を示すあいさつで、「殉教者の血は新しい命の種となった。その証しは宣教する弟子として生きる私たちの信仰を強め、献身と決意をあらたにする。すべての命、特に最も助けを必要としている人を保護し、守る文化のために働く弟子として」と述べました。

そのうえで「私が殉教者にささげられた記念碑の前まで来たのは、このような聖なる人々と会うためだ」と訴えました。

西坂公園をあとにしたフランシスコ教皇は、「カトリック長崎大司教館」で昼食をとることにしていて、午後には長崎県営野球場で3万人規模のミサを執り行います。

フランシスコ教皇と交流があり、30年以上文通を続けてきたイエズス会の修道士、アントニオ・ガルシアさんは「家族のように接してくれて、今まで手紙でやり取りしていたことが思い出されました。教皇は自分がこの後のミサに来るのかどうか心配してくれました。もっと話がしたかったです。この後のミサでまた会えるのが楽しみです」と話していました。

「焼き場に立つ少年」は、アメリカ軍の従軍カメラマンだった、ジョー・オダネル氏が、原爆投下後の長崎で撮影したとしている写真です。

この写真には、目を閉じた幼い子を背負いながら、唇をかみしめて直立不動で立ち、まっすぐ前を見つめる10歳ぐらいの少年の姿が写されています。

オダネル氏は、すでに亡くなった弟を背負った少年を写したものだとし、このあと少年が見つめる中で弟は屋外で火葬されたと伝えています。

オダネル氏が長崎や広島など日本各地を回り、私用のカメラで撮影したフィルムは、アメリカに帰国したあとも悲惨な記憶とともにトランクの中にしまわれていました。

しかし、オダネル氏は過去と向き合うことを決意し、帰国から40年余りが経過した1989年にトランクを開き、翌1990年には地元・テネシー州で原爆の悲惨さを訴える写真展を開催。

アメリカ国内では反発を招いたものの、その後、日本各地でも写真展が開催され、平成19年、2007年には長崎市にある長崎県美術館で「焼き場に立つ少年」が特別公開されました。

長崎市に寄贈された「焼き場に立つ少年」は、いまも長崎市原爆資料館に展示され、戦争の悲惨さを訴え続けています。そして、おととし、平成29年の年末、フランシスコ教皇がこの写真に、みずからの署名と「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、教会関係者に配布するよう指示したことから再び注目を集めました。

カードの裏には、教皇のメッセージとともに「この少年は血がにじむほど唇をかみしめて、やり場のない悲しみをあらわしています」という説明も添えられました。

一方、オダネル氏みずからも来日し、長崎市で少年の行方を探したほか、長崎平和推進協会の写真資料調査部会なども調査を続けていますが、この少年は誰なのか、また撮影された場所はどこなのか、特定には至っていません。

「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した、ジョー・オダネル氏の息子のタイグ・オダネル氏(50)は「フランシスコ教皇に父親が使っていたメダルを見せると、スペイン語で『ありがとう。あなたと父親に祝福を』とおっしゃった。父親が撮影した『焼き場に立つ少年』の写真がきょう、爆心地に掲げられていたことを誇りに思います。世界中の人がこの写真を見て、『長崎の悲惨な経験を繰り返してはならない』と思いを寄せた瞬間になったのではないかと思う」と話していました。

被爆地の長崎を訪れているフランシスコ教皇は、24日午後、長崎市にある県営野球場でミサを執り行いました。

ミサには、地元のカトリック教会の信者をはじめ、韓国やフィリピンなど近隣のアジア諸国からの信者も含めて、およそ3万人が参加しました。

フランシスコ教皇が特別仕様のオープンカーに乗って球場内をまわると、参加している人たちは日本やバチカン、そしてフランシスコ教皇の出身国であるアルゼンチンの国旗をふり歓迎していました。

長崎市は午前中は雨が降りしきる天気でしたが、午後になって雨はやみ、ミサは晴天のもと厳かに行われました。

フランシスコ教皇は祈りの中で「長崎はその魂に癒やしがたい傷を負っています。いまもなお戦争が絶えない中で平和のために声をあげる人々がさらに増えるよう願いましょう」と述べました。

ミサに先立って、フランシスコ教皇長崎市の爆心地公園を訪れてスピーチを行い、核兵器のない平和な世界への実現に向けて全ての人が、一致団結して取り組むことを呼びかけました。

このあと、フランシスコ教皇は長崎を出発してもう一つの被爆地広島を訪れる予定で、平和公園で開かれる「平和のための集い」に出席し、被爆者たちを前にスピーチを行います。

教皇の日本司牧訪問
教皇のスピーチ
核兵器についてのメッセージ
長崎・爆心地公園
2019年11月24日

愛する兄弟姉妹の皆さん。

この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。

人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。

国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。

ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。

核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])。

今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。

カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。

核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。

こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。

心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。

ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジ聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみがあるところに愛を、
いさかいがあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望があるところに希望を、
闇に光を、
悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。

記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。

皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、午後5時35分ごろ、広島空港に到着しました。

このあと広島市平和公園に移動し、被爆者や宗教関係者、それに自治体の関係者など、およそ2000人が集まって開かれる「平和のための集い」に出席する予定です。

被爆地の長崎での日程を終えたフランシスコ教皇は、ツイッターで「数百万人の子どもや家族が非人道的な状況下で生きている世界において、浪費されたお金や、破壊的な武器の製造や保有、取り引きを通じて生まれた財産が天に叫んでいます」と投稿し、核兵器の廃絶に向けた力強いメッセージを発信しました。

フランシスコ教皇は24日、最初の訪問地、長崎で核兵器の廃絶にむけたスピーチを行ったあと、3万人規模のミサを行うなど一連の行事を終え、午後5時半、もう一つの被爆地、広島の空港に到着しました。

フランシスコ教皇はさきほど午後6時40分すぎ、広島市平和公園に到着し、被爆者や宗教関係者、それに自治体の関係者など、およそ2000人が参加する「平和のための集い」に出席しています。

フランシスコ教皇は原爆慰霊碑に祈りをささげ、被爆者の証言を聞いたあと、午後7時すぎから平和に向けたスピーチを行うことになっています。

広島に先立って訪れた長崎で、フランシスコ教皇核兵器の非人道性を強く非難したうえで、核兵器のない世界を団結して実現するよう呼びかけました。

広島ではどのようなメッセージを発するのか注目が集まっています。

フランシスコ教皇平和公園の原爆慰霊碑の前で記帳を行い、「私は平和の巡礼者として、この国の歴史にとって恐ろしい日に傷つき、犠牲になったすべての人に連帯を示し、深く悲しむために来ました」などと英語で記し、“フランシスコ”と署名しました。

教皇のスピーチ
広島の平和公園にて
2019年11月24日

「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。

あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。

ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、このおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。

この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。

わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、静かに祈るためです。とくに若者たち、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。貧しい人々はいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。

わたしはへりくだり、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。

確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。2年前に私が言ったように、核兵器の所有も倫理に反します。これについて、わたしたちは神の裁きを受けることになります。次の世代の人々が、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、諸国間の行動を何一つしなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪の演説という役に立たない行為をいくらかするだけで自らを正当化しながら、どうして平和について話せるでしょうか。

平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています。(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス――地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。真理と正義をもって平和を築くとは、「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。ですから、自分だけの利益を他者に押し付けることはいっさい正当化できません。その逆に、差の存在を認めることは、強い責任と敬意の源となるのです。同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。

実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965年10月4日)」10)。武力の論理に屈し、対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃墟を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。紛争の正当な解決策であるとして、核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。

思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる真の道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても、国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。

だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。

神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85・11-12)。

主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!

私は、君とともに平和を唱えます。

広島市で開かれた「平和のための集い」に出席するため広島市を訪れていた、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、午後8時55分ごろ、広島空港を出発し、羽田空港に向かいました。

d1021.hatenadiary.jp