https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

d1021.hatenadiary.jp

そんな過酷な修行を終え、里に下りてきてある日、ふっと突然気づいたのです。「あっ、そうだったのか!」と大きな気づきがありました。それは自分自身が嫌だと思ったら、どんなに隠しても、相手に対してどこか表情や行動、仕草などで、嫌な雰囲気が伝わっていたのではないか。知らず知らずに相手に嫌な思いをさせていたのは、まさしく自分だったのだと、心の底から反省したのです。それも自分の嫌いな相手と話しているときに、ハッと気づいたのです。

内心で自分が相手を嫌いだと思えば、おそらく相手も嫌いだと思います。私が初めから、もっとその人を受け止めるだけの大きな器のある人間だったならば、相手に対しても嫌な思いをさせなかったのではないかと自己を省みたのです。そこで心の中で「忘れきる」「捨てきる」「許しきる」ことの大切さを知りました。

d1021.hatenadiary.jp

 この精神が有るか無いかで、人間が決まるのです。この情緒(「じょうしょ」「じょうちょ」どちらでも宜しい)を、年とともに、何になっても変わらず、それ相応に持ちつづける人が、本当に偉いのです。


d1021.hatenadiary.jp

雑念がだんだんにへって、心がよほど透明になってきたからでしょう、視野が広くなり、ものの隅々が見えるようになり、いつも心たのしいのでした

「心身脱落」という言葉が禅書にありますが、ほんとうにその通りです。無我とは決して形容詞ではありません

神とは何か、自我とは何か、神と人間との関係、個と全体との関係などと、女子大時代に頭の中だけの、概念の世界で模索していた諸問題が、みんないっしょに解決され、がらんとした思いで、愉快というよりほかありません

#科学主義

d1021.hatenadiary.jp

#善悪二元論