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新型コロナウイルスの感染が拡大する中、高野連などは今月4日、甲子園球場で行われるセンバツ高校野球を初めて観客を入れずに開催する方針を示し、開催に向けた準備を進める一方で、その後の感染状況などの変化を踏まえて最終判断する意向を示していました。

そして、11日午後から大阪市内で開かれた臨時の運営委員会で協議した結果、無観客での開催を断念し、大会の中止を決めました。

大会会長を務める毎日新聞の丸山昌宏社長は会議後に記者会見し「さまざまな角度から協議した結果、今も感染者が増え続け予断を許さない状況で、選手が安心してプレーできる環境を現段階では担保できない。多くの学校の大会に向けた準備は十分とはいえず、選手のけがの可能性もあることから苦渋の決断となった」と述べました。

3年ぶり4回目の出場をする予定だった群馬県高崎市高崎健康福祉大高崎高校では、11日午後6時すぎ、監督とキャプテンが報道陣の取材に応じました。

青柳博文監督は「無念ですが、ほかのスポーツも中止が相次いでいるのでしかたがないと思う。この気持ちを切り替えて『夏の甲子園に向けてやっていくぞ』と選手たちに伝えていきたい」と話していました。

キャプテンの戸丸秦吾選手は「悔しい気持ちはあるが、この決断はしょうがないのかなと思う。今は気持ちが追いつかず心と体がバラバラな感じだが、気持ちを切り替えて夏の大会ではもう一度甲子園に健大高崎の名前をとどろかしたい」と話していました。

3年ぶり13回目の出場を決めていた宮城県仙台育英高校、須江航監督は「以前から中止も十分にありえると私も選手たちも考えていた。ただ、激しい競争を勝ち抜いてセンバツのメンバーに選ばれた選手もいて、そのことを考えると悲しいという思いがある。この困難をみんなで乗り越えて、夏は甲子園に選手たちを連れていきたい」と悔しさをにじませながら話していました。

新3年生となるキャプテンの田中祥都選手は「ここまで、開催に向けて前向きに尽くしてくださった関係者の方には感謝しかない。そこを踏まえてみんなで話をして前に進んでいきたい。ここまで練習を重ねて準備をしてきたものは変わらないと思っているので、全員で競争して夏に向けて進んでいきたい」と前を向いていました。

春と夏の甲子園で大会が中止になったことは夏は過去に2回ありますが、センバツでは初めてです。

春と夏の甲子園は太平洋戦争の影響で昭和17年から終戦後まで大会が行われませんでしたが、高野連=日本高校野球連盟はこの期間を「中断」としています。

高野連では開催が予定されていた大会が途中で取りやめになった場合を「中止」と定義していて、去年までで91回を数えるセンバツの歴史で予定されていた大会が中止されたことはありませんでした。

開幕直前に東日本大震災が発生した平成23年も開催されたセンバツですが、今大会は新型ウイルスの感染拡大のリスクを乗り越えることはできませんでした。

一方、夏の甲子園は過去に中止となったことが2回あります。

大正7年は米騒動のため、開会式前日に延期が発表され、その後、中止になりました。

また、昭和16年の夏は一部地域で地方大会が始まったあとに戦局が緊迫したため中止に追い込まれました。

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