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 1960年代の日本には、そもそも「オカルト」という概念がまだありませんでした。「オカルト」ではなく「オカルティズム」という言葉はありましたが、それは主に澁澤龍彦種村季弘などによって西欧の幻想文学や幻想美術が紹介されていく、そういう過程のなかで、その背景にあるヨーロッパの神秘主義、神秘思想に言及する場合の言葉でした。当時は隠秘主義という訳語もしばしば使われました。
 ただ神秘主義、神秘思想とはいっても、錬金術だとか黒魔術だとかパラケルススとか、薔薇十字団とかそういう古典的な題材が中心でした。ロシアの神秘主義ブラヴァツキーやドイツの思想家ルドルフ・シュタイナーなど現代と踵を接する近代神秘学は対象外でした。錬金術にしてもフルカネリや生体内原子転換のケルブランなんてありませんでした。
 基調にあるのは幻想文学、耽美主義であり、そういったいわば美学的な趣向のなかでのオカルティズムです。ですから生々しいリアルな話、ガチなものは関心の対象外だったということです。しかし、それでも当時はすごく新鮮でむさぼるように読んだものです。
 60年代は、そういった限られた回路を通じてようやくオカルト的なるものの輪郭が見えてきた時代だったわけです。

 ですから、テンプル騎士団について知ったのはユイスマンの小説『大伽藍』を通じてです。桃源社という出版社があって1966年に『世界の異端文学』というシリーズが刊行されますがその中の1冊でした。
 タロットカードを知ったのも、アンドレ・ブルトンの『秘法十七番』を通じてです。ある日、本屋に行くと妙に惹かれるカバーの本があったのでその場で買いました。原題はArcane 17、つまりタロットの大アルカナの17番(星)という意味です。原書は1945年にニューヨークで刊行されていますから、その落差たるやなんと22年です。日本ではその頃になってようやくシュルレアリスムだとかアンドレ・ブルトンの本格的な紹介がはじまったわけです。
 ちなみに『アンドレ・ブルトン集成』が日本で刊行されたのは1970年です。それは澁澤龍彦による幻想文学や「オカルティズム」の紹介と軌を一にするもので、そういう「超現実」「幻想」に対する志向が60年代、70年代の対抗文化の基調でした。

 60年代にも、インテレクチュアルなレベルでの幻想や超現実的なものへの志向とは別に、大衆的なレイヤーにおいて「オカルト」に相当するものがなかったわけではありません。

#インテレクチュアル・ヒストリー

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ルネサンスと初期近代の哲学史科学史を専門としている。