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#自然主義

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人間関係をつくるには、適切な距離感を持つことが重要です。武道における距離感の一つは「間合い」です。自分の身を守るには、最低限、必要な距離があります。その距離を「間合い」と言います。心身統一合氣道では、間合いを下記の通り定義しています。

1.一歩踏み出さなければ相手に届かない距離
2.相手の顔を見た状態で、相手の全身が視界に入っている距離
3.心が静まった状態を保つことが出来る距離

「間合いを破る」ということは、自分の身が守れないばかりでなく、相手にも危険を与えることになります。初対面など、信頼関係が出来ていない間柄で、間合いの内側に入るのが「無礼」とされる所以です。

 新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、「自然環境と文明」をテーマに、有識者3人がそれぞれ推薦する本についてオンラインで語り合う「鼎談(ていだん)書評」を実施した。参加者と推薦書は、作家の池澤夏樹氏が和辻哲郎著『風土―人間学的考察』(岩波文庫)、JT生命誌研究館名誉館長の中村桂子氏がジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫)、文筆家の山本貴光氏がユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』(河出書房新社)。コロナ禍の今、名著を読み直し、人類の生きるべき道を考えたい。

■『風土―人間学的考察』 和辻哲郎著(岩波文庫・1111円)

 池澤 哲学者の和辻哲郎が1935(昭和10)年に刊行した本で、風土が人間の文明・文化にいかに影響を与えるか、がテーマだ。彼は風土を大きくモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けて論じている。和辻は留学のため船でヨーロッパに行く途中、インドとアラビア語圏でしばらく暮らし、それからドイツへ行った。その旅の体験、観察をもとにした考察だ。

 インドのモンスーン型風土は湿潤で暑い。しかもモンスーンは安定しないから、気象条件が変わる度に人間はそれに振り回される。砂漠型は徹底して乾燥している。牧場型は家畜を囲い込む牧場ではなく、むしろ牧草地を指す。それぞれが人間の性格をどう決めるかを考察していくが、今読んでも示唆に富んでいる。あの時代だから偏見もあって、インドを除いて南洋的人間は文化的発展を示さなかったといった、とんでもないことも言っている。彼はアンコールワットカンボジア)などは知らなかったと思う。

 この本が今も引用する価値があるのは、例えば、スペイン風邪の時にインドでも多くの人が死んだが、モンスーン型では自然の変化に対する社会の抵抗力が弱いからだと考察している。僕自身の旅の経験からいうと、和辻の論には当たっているところもあり、そうでないところもある。ヨーロッパは一面緑で、それは全部牧草地として使われている。ある京都帝国大教授の「ヨーロッパには雑草がない」という言葉を引いている。その辺に生えている草はみんな羊が食べることができる。その意味で全てが牧草地だと。この印象は、僕自身もフランスに住んでいる時に実感した。

 日本人の性格についても、いろいろ面白いことを言っている。モンスーン地帯だけれども日本はインドとは違う。日本の場合は熱帯と寒帯が交互に来るという派手なモンスーンである。確かにそうで、例えば日本海側の土地は、冬は大量の積雪に見舞われる。これは冬の季節風日本海から湿気を運んで、それが日本列島の脊梁(せきりょう)山脈にぶつかって雪を降らせる。この特殊な地理的環境から豪雪地帯が生まれる。

 また、江戸・東京とヨーロッパ、なかんずくパリの街づくりを比較した第三章第二節の「日本の珍しさ」では、ヨーロッパの整然たる街づくりを見てきて東京に戻った時、雑然とした街の広がりにあきれたといった比較文明論を記している。平屋が並んでいるばかりの道路を市電が威張って走っているのは、家並みが「ちょうど大名行列に対して土下坐(どげざ)している平民どものように」見える。これに対し、ヨーロッパでは家を縦に積んでいくので街並みが整然として、しかも土地効率がいいから、市街地がだらしなく広がることがない。

 今のパンデミックについて、文明の原理の一つである集中、交通機関の発達による伝播(でんぱ)の速さなどを各論としてではなく、ホモ・サピエンスの生き方に関わる総論として改めて考えていきたいというのが、今回の鼎談の狙いだ。

 中村 「ヨーロッパには雑草がない」という言葉があったが、日本では庭の手入れは雑草とりだとも言える。自然を征服するというヨーロッパの科学の基本的な考え方が、今、世界中を支配しているが、それもこういう小さなところから始まっているのではないか。雑草に悩まされているかいないかという日常的なところが大きな思想につながっていると思うと興味深い。

 山本 池澤さんが言うように、和辻の議論には、なるほどそうだなという面と、本当にそうかなという面がある。風土がそこに住む人の性格などを規定している、という見立てはその通りだと思う。他方で、個別具体的な考察については、どの程度妥当性があるかとなると、読む人によっても違う意見を持ちそう。風土に規定された人間という構想を、どうしたら普遍的なものにできるだろうか。

 池澤 きっちり論旨を積んでいくように見えて、どこか恣意(しい)的だし、知識と経験には当然、一個の人間としての限界がある。ある程度、批判的に読むことにはなる。

 中村 和辻に対しては、学問的ではなくて詩人的だという批判があるが、自然と人間を考えるうえでは、あまりにもこれまで学問的に論じすぎてきたので、和辻のこういう感覚を入れ込む時期に来ていると思う。そういう目で『風土』を読み直してみることは大事だと思う。

 山本 フランスの歴史学者ブローデルの『地中海』を連想した。歴史を論じるにあたって環境の話から始めている。山や海の形や平野の広がりなどによって、そこでの人びとの暮らしや社会がどう規定されるかを記述しており、『風土』を引き受けてさらに展開したように読める。

 中村 フランスの地理学者、オギュスタン・ベルク氏が作った風土学も大事だ。自然を、環境決定論でなく、全く主観的でも全く客観的でもない「通態的」なものとして見ようと言っている。ヨーロッパの人からこういうことが出始めているのが面白い。

 山本 和辻は風土という見方は、自然科学とは違うと強調していた。土地や自然を客観的に捉えるのではなく、風土はそこに住む人間の生活や主観に関わる。人文的といってもよい見方だ。

 中村 彼は風土について「人間の精神構造に組み込まれた自己了解の仕方だ」と説明している。人間と自然を分けないで、自然を組み込んだ形で了解の仕方を作り上げていくという主張は、私の生命誌がまさにそれを求めており、そういう考え方の始まりとして興味深い。

 山本 和辻の議論には「間主観性」の発想もある。例えば「寒さ」の感覚のように、風土から感じることは個人の主観だけでなく、人々のあいだでも共通する。風土の中で自分を把握し直すという主張もこの文脈で理解できる。今、新型コロナウイルスによって世界中の人が、ある意味で同じ環境の中に置かれ、そこに自分を投影して、それぞれが見比べている時代だという気がする。

■『銃・病原菌・鉄』上・下 ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳(草思社文庫・各990円)

 中村 まず、進化生物学者である著者がものした文明論という点に、本書の特色がある。最大の特徴は、ある一つの問いから出発している点だ。ダイアモンドが1972年に熱帯のニューギニアを訪れた際、「カリスマとエネルギーを発散させているような」現地の政治家のヤリという男性から、こう問われた。「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか」と。

 ダイアモンドは数十年の時を経て、ヤリの問いへの答えとして本書を完成させた。良い仕事というものは、良い問いから生まれると思っているが、その好例だ。まず著者は「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」と明確に記す。今から約1万3000年前、どの地に生きる人も同じスタートラインに立っており、そこからのそれぞれの変化を追うのが本書だ。また、自身がフィールドワークを続けてきたポリネシア諸島の状況に精通しているのも、ダイアモンドの強みだ。ポリネシア諸島は気候や地質、海洋資源、地形などのあらゆる条件が違った島が集まっており、違った文化が育まれている。ポリネシアを一つのモデルとして、地球全体においても、環境の多様性が人々の違いにつながっていると論じている。フィールドワークで得た実態をベースにして論を進めているのが面白い。

 ただ、ダイアモンドは決して、環境が人々の文化や文明を決めるという環境決定論者ではない。この点は和辻哲郎の『風土』の論ともつながる部分だが、環境と人間の創造性とが絡まる中で、文化や文明は決まると論じている。興味深かった視点の一つが、ユーラシア大陸は東西の方向に横長に広がる一方、アフリカ大陸やアメリカ大陸は南北に縦長に広がるのに着目したことだ。緯度がほぼ同じ東西なら、緯度が異なる南北ほど気候や季節の移り変わりは激しくなく、ある気候に順応した農作物の生産が広がる環境に合ったとしている。

 そして、本の題にもなっている銃、病原菌、鉄を、ヨーロッパ人が他の大陸を次々に征服していった要素として挙げている。16世紀のスペインがインカ帝国を征服した例などから、ヨーロッパ人が鉄製の武器、やがては銃器をもっ…

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今でもインドの山奥で石ころだらけの斜面を耕して生きる人々に会っては、民話など言語資料の収集と分析を続けている。いわゆるフィールドワークだが、自分にとってはつまるところ「なぜ生きるのか」という高校時代からの問いへの答えを求める旅である。少数民族の人々のおかげで、硬い土地から硬い人間が生まれることを知り、貧しくともおよそ人の生きるところにはユーモアやペーソスや誇りや愛情があり、苦しい人生にも生きる喜びがあるのかも知れないと思えるようになった。

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この風土という考え方こそがグローバリゼーションをとどめるための積極的な方法論である、とする評価(オギュスタン・ベルク)もある。

広井さん
世界ではニューヨークやパリ、ロンドン、マドリード、日本では東京、大阪といわゆる過密都市、人口が大規模に集中するところで明らかに感染拡大が進んでいます。国別の状況を見ますと、アメリカやスペイン、イタリアは死者や感染者の数が上位です。

ジニ係数」という格差の度合いを表す指数がありますが、それらの国々は、その国際比較をみてみると、いずれも上位にきています。つまり格差が激しく、公的な社会保障の整備がぜい弱な国々です。一方、ヨーロッパで比較的パフォーマンスがよかったドイツは、分散型社会の代表例です。ベルリンのような都市があるにしても、ニューヨークなどのように極端に大きな都市はなく、中小規模の都市が各地に点在する多極的な空間構造です。また、医療システムが整備され、格差が小さく一定以上の平等が実現されている。今回の新型コロナへの対応も迅速でした。

こうした分散型の社会、持続可能な福祉社会が、新型コロナの被害を相対的に抑えているということは、集中型の社会よりも分散型の構造のほうが、そして一定の平等が実現される社会のほうが感染症を防ぐという意味で強いことが示されていると思います。

広井さん
感染がこれだけ急速に世界中に広がって、これだけの死者が出たというのは、グローバル化の負の側面が非常にはっきり出たと思います。歴史を見直しても、同じことが言えると思います。

14世紀のペスト大流行は、諸説あるものの、モンゴル軍によって中国からヨーロッパに伝わったという解釈が有力となっています。当時は、中世のグローバル化の流れが始まった時代でした。グローバル化感染症拡大が関連しているのは明らかです。

もちろん、その事実だけを持って、だめだと言うつもりはないのですが、グローバル経済や、インバウンドに過度に依存する社会は、今回のような事態となった時、打撃が大き過ぎるという問題もあります。もう少し、グローバルと反対のローカルから出発して、物事を考える、経済循環をつくっていく、そういう方向性が求められていると思います。

広井さん
リーマンショックでは、過度のグローバリゼーション、利潤の極大化がいささか過熱したことで、結果的にいろんな破綻が生じてしまい、大きな恐慌のようになってしまいました。過度のグローバル化や資本主義の拡大成長路線のひずみが明らかになったのは、今回も同じです。

過度のグローバル化を抑え、同時にこれからの時代はローカル化、「ローカライゼーション」という方向性が重要になると思います。地産・地消を含め、まずは地域の中で食料やエネルギーをできるだけ調達し、かつ地域内でヒト・モノ・カネが循環するような経済をつくっていくこと。資源の有限性という観点からもそのほうが望ましいと思います。

こうした方向性がかなり浸透しているのは、国全体が「分散型」システムとしての性格を強く持つドイツ、また北欧の国々で、ローカルな経済循環や共生を志向し、そこからナショナル、グローバルへと積み上げていく社会の姿が実現されつつあります。今回のコロナ禍ではそうした社会のほうが強いということも明らかになりました。

今は危機ですが、むしろチャンスと見て、本来なされるべき改革や社会の変化を、いろんな形で進めていく契機にすべきではないかと思っています。

広井さん
日本社会は東京の一極集中を是正すべきだという議論は高度成長期からありました。しかし、当時は経済成長と集権化ということが表裏一体のものでしたので、実現には至りませんでした。しかし、一極集中の社会構造や価値観からの根本的な転換が必要だということが今回のコロナ禍で明らかにされたという見方ができると思います。

私たちは3年前、AIを活用して2050年の日本社会が持続可能であるためにどうすればいいか、人口や高齢化、GDPなど、およそ150の社会的要因をピックアップしてシミュレーションしました。そうすると、東京一極集中という「都市集中型」か、それとも「地方分散型」かの分岐こそが、日本社会の未来にいちばん大きな意味を持っていることが分かりました。しかも、結果として、望ましいとなったのは「地方分散型」のほうです。やはり、分散型というのはキーワードだと思っています。

今回もあまりにも、東京に人口が集中しすぎていることで、感染の広がりにつながりました。コロナ禍は『都市集中型』社会のぜい弱性や危険度の大きさを白日の下にさらしたとも言えます。また一方で、近郊からの通勤距離もどんどん長くなっています。東京は子どもの数は多いですが出生率でみると全国で最も低くなっています。仕事と子育ての両立は、なかなか難しいのが実情です。そのため皮肉なことですが、東京の一極集中が進めば進むほど、日本全体の出生率も下がって、人口減少も加速してしまうことになるのです。

地方に人口が分散すれば、もともと地方のほうが出生率が高いですし、過密ではない、ゆとりある時間と空間の中で子育ても仕事もできます。地方には仕事がないとよく言われますが、いまテレワークが急速に進んでいます。いわゆる会社人間で、朝から晩まで会社にいる、長時間労働をするというようなライフスタイルや、何時間もかけて通勤する、そういったロスは見直せるはずです。仕事と子育てが両立しやすいような働き方やライフスタイルになると、出生率の改善につながり、ひいては人口減少問題も改善します。日本社会が直面するさまざまな課題の解決につながっていくのではないかと思います。

広井さん
これからの時代に重要になるのは、地域内においてヒト・モノ・カネが循環し、そこに雇用やコミュニティ=つながりも生まれるような経済の在り方で、私はこれを「コミュニティ経済」と呼んでいます。

ローカルな「コミュニティ経済」が比較的機能しているのはドイツやデンマークといった国々です。例えばドイツのニュルンベルク郊外にあり、人口およそ10万のエアランゲンという地方都市は、街の中心部から車を完全に排除して歩行者だけの空間にしています。ドイツのほかの都市でも同様に見られるのですが、人々が「歩いて楽しむ」ことができ、ゆるやかなコミュニティ空間とも呼ぶべきつながりが感じられる街になっています。車いすに乗った高齢者もごく自然に過ごしていますし、非常に印象的です。商店街と住宅などを結び付け、街を世代間交流やコミュニティの拠点にし、“買い物難民”の減少や雇用も生んでいく「コミュニティ商店街」という在り方です。そのため、人口10万という都市ながらも中心部が活気あるにぎわいを見せています。

一方で日本はどうでしょう。同様の規模、あるいはそれ以上の地方都市はありますが、残念ながらその多くでシャッター通りとなって閑散としてしまっています。人口減少社会のいま、人口が増えていた時代の延長線上では物事は進みません。日本でも岐阜県郡上市でUターン組の若者らが農業用水で小水力発電を行い、電力を販売したり特産品の開発に使ったりする取り組みをして地域内の経済循環を高めるなど、「コミュニティ経済」の例はいくつか見られます。その実現には、再生可能エネルギーの活性化や地域の公共交通機関の充実、コミュニティを支える文化の伝承などが有効で、各地の取り組みを参考にしていくべきだと思います。

広井さん
新型コロナウイルスの感染拡大は、時代の大きな構造変化を象徴する出来事になると思います。これまで、その必要性は言われても、なかなか実現しなかったものが新型コロナという非常に強い外圧によってようやく気付き始めた、そういう状況だと思います。

戦後日本は、昭和・平成・令和と時代が進み、昭和はよくも悪くも拡大成長路線、「集団で一本の道を上る」、「すべてが東京に向かって流れる」、そういう時代でした。「ジャパンアズナンバーワン」とまで言われた昭和の成功体験、高度成長期的な社会の在り方や働き方がうまくいったという成功体験が、特に上の世代を中心に染みついているので、なかなか方向転換が難しかったと思います。

平成は「失われた30年」と言われた時代です。さまざまな方向転換ができず、昭和的な成長モデルにとらわれていたことが大きな要因だったと思っています。成果の少ない拡大路線を続けた結果、過労死など行き過ぎた側面まで生まれるようになり、いろんな形で限界やほころびを見せました。

しかし、令和という時代はそういうものを根本的に見直していく必要があります。新しい成熟社会の豊かさの方向にかじを切る時代です。山登りに例えると、ゴールをみんなで目指す時代から、一応頂上まで来たのだから、あとはそれぞれが、自由に創造性を伸ばし、自分の人生をデザインしていく。そういう方向に転換していくべきです。下りは360度開かれています。それが結果的に、経済や生産性にもプラスになり個人が自由な人生を歩めるようになるのではないでしょうか。

この「分散型」のことをリベラルは「分断」と呼んでいる。

#ブロック経済#地産地消
#多極化

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新型コロナウイルスの感染拡大という危機だからこそ、民主主義を強くすべきだ」 国内外の政治や民主主義の歴史を研究している政治学者の宇野重規さんに伺いました。

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