https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

感染の拡大を受け、両陛下が毎年各地で臨まれる国体・国民体育大会の開会式など4つの行事のうち、「全国豊かな海づくり大会」を除く3つの行事で、来年への延期やことしの開催の事実上の見送りが決まっていました。

関係者によりますと、最後まで検討が続いていた宮城県石巻市での海づくり大会も、ことしの開催は見送られる見通しになり、来年以降への延期などが検討されているということです。

大会は、出席者を大幅に減らすなど感染防止対策を取ったうえで9月27日に行えないか検討が進められ、実現すれば、両陛下も日帰りで行事に臨み、東日本大震災の被災者とことばを交わされることも検討されていました。

開催の見送りによって、両陛下が全国各地で臨まれる恒例行事は、ことしはすべて見送られることになりました。

戦後の象徴天皇制のもとで天皇による恒例の地方訪問がすべて無くなるのは初めてのことです。

新型コロナウイルスの影響で人々との触れ合いが難しくなる中、両陛下は、さまざまな分野の専門家や対応にあたる人たちをお住まいに招いて話を聞き、ことばをおくる形で国民に心を寄せ続けられています。

また、秋篠宮ご夫妻もテレビ電話を活用して多くの専門家から話を聞かれるなど、皇室の活動も模索が続いています。

全国植樹祭や国体の開会式といった毎年恒例の行事への出席に伴う地方訪問は、戦後、象徴天皇制が定着していく中で大きな役割を果たしてきました。

こうした訪問は、日本国憲法が施行され天皇が「象徴」となった昭和22年、昭和天皇が出席して石川県で開かれた第2回国体にさかのぼります。

国体の開会式への出席は、2年後の第4回国体から昭和天皇香淳皇后がそろって出席する形で定例化し、翌昭和25年からは全国植樹祭の前身となる行事への出席も始まりました。

昭和天皇は、災害が起きたり体調がすぐれなかったりして訪問を見合わせた場合を除き、全国各地で開かれる行事に毎回欠かさず出席しました。

平成に入ってからは、植樹祭と国体に加え全国豊かな海づくり大会天皇が臨む恒例行事に加わり、それに伴う訪問は「三大行幸啓」と呼ばれるようになります。

こうした訪問は、天皇皇后と国民が直接触れ合う重要な機会となっていて、阪神・淡路大震災東日本大震災が起きた年にも行事の開催が中止されることはありませんでした。

さらに令和になって、天皇陛下が皇太子時代から出席を重ねられてきた国内最大の文化の祭典国民文化祭天皇が臨む恒例行事に加わり、去年は皇后さまとともに愛知、秋田、茨城、新潟の各県を訪問されました。

ことしも全国植樹祭島根県を、国体で鹿児島県を、全国豊かな海づくり大会で宮城県を、国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭で宮崎県を訪問される予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響でいずれもことしの開催が見送られることになりました。

戦後の象徴天皇制のもとで天皇による恒例の地方訪問がすべて無くなるのは初めてのことです。

象徴天皇制を研究している名古屋大学の河西秀哉准教授は、「戦後巡幸という形で天皇が全国各地に行って触れ合うということが起き、その中に国体や植樹祭などが組み込まれていった。天皇が神様のような存在だった戦前と違って、『象徴とはこういうことなんだ』ということを国民がイメージできる機会になった」と話しました。

そのうえで、「国民にとっても天皇にとっても、実際に会うということが意味を持ったという歴史的な流れがあって、その積み重ねの中で今がある。地方へ出かけ、人々と会って、ふれあい、話すことによって、国民からの尊敬や親しみのような感覚が築かれ、象徴天皇というものがだんだん固まっていくとともに、国民も象徴天皇とはこういうものなんだということがわかってきた」と指摘しました。

さらに、「単に行事に出るだけなく、その地域を見て福祉施設などいろいろな所を訪問することが大事で、そういう機会が無くなるというのは本当に異例なことだ。こうした状態が続くことを考えると、それにあわせたやり方も必要になってくるだろう」と話しました。

d1021.hatenadiary.jp
d1021.hatenadiary.jp
d1021.hatenadiary.jp

#天皇家