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 芸術家としても活動する僧侶の風間天心さん(41)=札幌市中央区=らによる、大仏造立プロジェクトが始まった。「コロナ禍の中、祈りのシンボルとして皆の心を前向きにしたい」と風間さん。4日には、日本全国の寺院を回るイベント「勧進キャラバン」がスタートし、1回目の法要が須磨寺(神戸市須磨区須磨寺町4)で行われた。(森下陽介)

 プロジェクトは3月ごろから企画。インターネット上で必要な資金を集めるクラウドファンディングを活用し、2021年内の「コロナ大仏」造立を目指す。

 「奈良の大仏と同じように、見る人に安心感を与えたい」と風間さんは話す。疫病や災害によって人心が乱れた世を安定させようと、聖武天皇が奈良・東大寺に大仏を造立した時代と、コロナ禍で多くの人が不安な日々を過ごす現代を重ね合わせる。

 イベントでは、各寺院の宗派に合わせた法要を行い、その様子をライブ配信する。また、新型コロナの影響で中止されたイベントのチラシなどを持ち込めば、法要に用いる仏像に貼り付け、供養する。

 会場となる寺院では、拡張現実(AR)の技術を用いた「AR大仏」も見られる。用意されたQRコードをスマートフォンで読み取ると、寺院ごとに異なるデザインの大仏が現れる。

 参加した中学校教諭の男性(63)=神戸市長田区=は「コロナの影響で不安な気持ちを抱えている人は多い。プロジェクトが実現してほしい」

 コロナ大仏の大きさや造立の場所は未定。今後、勧進キャラバンで全国を巡回する中で、意見を聞きながら細部を詰めるという。

 同プロジェクトの概要はホームページで確認できる。「コロナ大仏造立」で検索する。

 新型コロナウイルス禍を機に「コロナ大仏」を造立しようと活動している僧侶たちが4日、須磨寺(神戸市須磨区)で法要を営み、資金集めのための「勧進キャラバン」をスタートした。11月まで全国各地で法要を続けながら、大仏の大きさや造り方、設置場所などを決める。

 大仏造立プロジェクトを始めたのは、美術家でもある曹洞宗の僧侶、風間天心さん(41)=札幌市=と、風間さんが所属するアーティスト集団「ジャーマンスープレックスエアライン」(尼崎市)の前田真治代表(44)ら。「気持ちを前向きにし、未来へと転化させるシンボルを」と、古くから苦難の時に造られてきた「大仏」に挑戦することにした。5~6月にはクラウドファンディングで、キャラバンのための資金約385万円を集めた。

 この日は、趣旨に賛同した須磨寺の小池陽人(ようにん)副住職(33)が護摩堂で法要。キャラバンのために風間さんが彫った「勧進仏像」の前で僧侶らが読経し、新型コロナ感染拡大により開催できなかったイベントのチラシなどを参列者が仏像に貼り付けて「供養」した。参列した明石市の主婦、森西千春さん(48)は「子どもたちの運動会も中止になったが、大人が平常心を保つことが大切だと感じる。大仏様が、持っていきようのない思いを寄せる対象となれば」と話した。風間さんは「コロナに限らずさまざまな災害で苦しむ人たちの声も聞きながらキャラバンを続けたい」と意気込んだ。

 キャラバンの日程などは特設ホームページ(https://bigbuddha.jp/)で発信する。

吉本 隆明

「ひきこもり」はよくない。ひきこもっている奴は、何とかして社会に引っ張り出したほうがいい。

そうした考えに、ぼくは到底賛同することができません。ぼくだったら「ひきこもり、いいじゃないか」と言います。世の中に出張っていくことがそんなにいいこととは、どうしても思えない。

テレビなどでは「ひきこもりは問題だ」ということを前提として報道がなされています。でもそれは、テレビのキャスターなど、メディアに従事する人たちが、自分たちの職業を基準に考えている面があるからではないでしょうか。彼らはとにかく出張っていってものを言う職業であり、引っ込んでいては仕事になりません。だからコミュニケーション能力のある社交的な人がよくて、そうでない奴は駄目なんだと無意識に決めつけてしまっている。

そして「ひきこもっている人は、将来職業に就くのだって相当大変なはずだ。社会にとって役に立たない」と考えます。

でも、本当にそうでしょうか。

ぼくは決してそうは思わない。世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身に付けないと一人前になれない種類のものです。学者や物書き、芸術家だけではなく、職人さんや工場で働く人、設計をする人もそうですし、事務作業をする人や他人にものを教える人だってそうでしょう。

ジャーナリズムに乗っかって大勢の前に出てくるような職業など、実はほとんどない。テレビのキャスターのような仕事のほうが例外なのです。いや、テレビのキャスターだって、皆が寝静まった頃に家で1人、早口言葉か何かを練習していたりするのではないでしょうか。それをやらずに職業として成り立っていくはずがない。

家に1人でこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。周りからは一見無駄に見えるでしょうが、「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことが、どんな職業にも必ず必要なのだとぼくは思います。

ひきこもりが生み出すものについて考えてみます。

1人になって自分と向き合う長い時間をもつことが何をもたらすのかについて、「第二の言語」という考え方に基づいて、説明してみようと思います。

他人とコミュニケートするための言葉ではなく、自分が発して自分自身に価値をもたらすような言葉。感覚を刺激するのではなく、内臓に響いてくるような言葉。ひきこもることによって、そんな言葉をもつことができるのではないか、という話です。

ぼくは、言語には二種類あると考えています。ひとつは他人に何かを伝えるための言語。もうひとつは、伝達ということは二の次で、自分だけに通じればいい言語です。例えば、美しい風景を目で見て「きれいだね」と誰かに言ったとします。これは、自分の視覚が感じた内容を指し示し、ほかの人に伝える言葉です。自分の心が感じた内容を表現してはいるのですが、それを他人と共有するという要素も同じくらい大きい。これが第一の言語です。

それに対して、例えば胃がキリキリ痛んで、思わず「痛い!」と口に出てしまったとする。このときの言葉は、他人に伝えることは二の次です。つまり、意味を指し示して他者とコミュニケートするためではなく、自分が自分にもたらすために発した言葉である要素が強いのです。これをぼくは、第二の言語であると考えます。

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自問自答をし続けていくのがぼくの人生。

疑問は気づきに変わることがある。気づきは解決につながったり、さらなる向上心につながったり。それが永遠に繰り返されるのがぼくの人生。謙虚な気持ちを持ち続けている限り、郷ひろみ郷ひろみでいられるのかなと、思っています

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