【ジョブズがiPhoneのような離れ業に込めた意図】 共鳴してくれる友達のために「作品」を届けた#東洋経済オンラインhttps://t.co/s2x9GAiFex
— 東洋経済オンライン (@Toyokeizai) 2020年9月13日
ジョブズが想定している相手はマス(大衆)ではなく、つねに1人ひとりの個別ユーザーである。彼のビジネスの際立った特徴だが、それを象徴しているのが「シンク・ディファレント」というキャッチ・コピーだろう。1997年にジョブズがアップルに復帰し、会社の新たなブランディングを推し進めるために展開したCMのなかで使われたものだ。コピーを考えたのはかつてマッキントッシュで「1984年」のCMを作ったリー・クロウである。
アインシュタイン、ガンジー、ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ピカソ、エジソン、チャップリン、キング牧師、ヒッチコック、アンセル・アダムズ、マリア・カラス、フランク・ロイド・ライトといった人たちの動画につぎのようなナレーションが重なる。
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「クレイジーな人たちがいる。反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。四角い穴に丸い杭を打ち込むように、物事をまるで違う目で見る人たち。彼らは規則を嫌う。彼らは現実を肯定しない。彼らの心に心を打たれる人がいる。反対する人も、称賛する人も、けなす人もいる。しかし彼らを無視することは誰にもできない。なぜなら彼らは物事を変えたからだ。彼らは人間を前進させた。彼らはクレイジーと言われるが、私たちは天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから。」最後に「Think different」という文字が現れ、アップルのロゴがカラーで小さく表示される。
要するに「反企業的でクリエイティブでイノベーティブな反逆者」といったイメージで自社ブランドを語ったことになる。だがそれ以上に、このラインナップはジョブズ自身のメンターや仲間をあらわしているように思える。もちろんラインナップの最後尾には本人が加わる。つまりCMに登場する人たちは、彼が理想とする惑星に登録されている住人なのだ。そこからつぎのようなメッセージが発信される。
「どうだい? きみもぼくらの惑星の住人にならないか」
このCMが最大公約数的なマスを想定としたものでないことは歴然としている。むしろ差別化と差異化に向かって強く働きかけるものだ。「きみはどのコンピューターを選ぶ?」とたずねるかわりに、「このCMを見てどう思う、クールと感じるかい?」とたずねているわけだ。問いかけられているのは、コンピューターを使って何かクリエイティブなことをやろうとしている1人ひとりのユーザーである。そしてメッセージに共鳴してくれる者、クールでかっこいいと思ってくれる者が、ジョブズの惑星の住人として招き入れられる。
ジョブズのコンピューター・ビジネスに対する考え方は一貫している。ハードウェアもソフトウェアもエンド・ツー・エンドで統合すべきだということである。当然、それはクローズドした互換性がないマシンになる。マッキントッシュのオペレーティング・システムはマッキントッシュのハードウェアでしか動かない。こうした何から何まですべてをウィジェットにするというアプローチで、ジョブズはiPod、iPhone、iPadなどいくつもの際立つ製品を作ることになる。
このあたりはビル・ゲイツとは対照的である。ゲイツのやり方は明らかに不特定多数のマスを対象としたものだ。それは彼の提供するものが普通の商品でありサービスだったからだろう。面白みのないやり方かもしれないが、市場を占有するには適した戦略と言えるかもしれない。
それにしてもなんのために、ジョブズは自らの命を縮めるような離れ業を演じたのだろう。また演じ続けねばならなかったのだろう?
われわれの仮説によれば「友達」を得るために、である。完成した製品を発表する。新しいガジェットを受け取って「めちゃくちゃすごい!」と言ってくれる。そうした「友達」をジョブズは求め続けた。
アップルに復帰してからのプレゼンテーションでは、こんなことを言っている。
「アップルのコンピューターを買う人というのはちょっと変わっていると思う。アップルを買ってくれるのは、この世界のクリエイティブな側面を担う人、世界を変えようとしている人々なんだ。そういう人のためにわれわれはツールを作っている」「われわれも常識とは違うことを考え、アップルの製品をずっと買い続けてくれている人々のためにいい仕事をしたいと思う。自分はおかしいんじゃないかと思う瞬間が人にはある。でも、その異常こそ天賦の才の表れなんだ。」(ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』)
朗読の一つの聞き方として、言葉を聞かずに声を聞くという方法がある。言葉を知ってしまった人間にはなかなかできないことだが動物にはできる。言葉の意味が文字にではなく感情にあるということが文学表現の成り立つ根拠になる。「嫌い」は「好き」で、「いや」が「いい」だ。その声を聴き取れるか。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2020年9月13日
朗読とは伝達ではなく表現であると考えるなら、声の表現の究極は座禅の世界に通じる。つまり、自らの声を自ら聞いて作品と向き合うことが自己への集中なのだ。夏目漱石『夢十夜』第二夜は自己集中による「無」の意識の探求である。自己に意識が集中するなら朗読の読み手からも気取りが消え去るだろう。 https://t.co/jD6q8m8Sf3
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2020年9月13日
芸術家の中には受賞歴を肩書きと考えて誇りにしている人たちがいる。だが芸術とは他との比較を許さない唯一個的な表現だ。受賞とは授賞されたものであって、だれが審査員なのか、その評価の価値観が問われるものだ。だから、受賞の誇りとは、自身が審査員の評価の範囲内にいるという表明になるわけだ。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2020年9月14日
ぼくは、言語には二種類あると考えています。ひとつは他人に何かを伝えるための言語。もうひとつは、伝達ということは二の次で、自分だけに通じればいい言語です。
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— 有斐閣雑誌編集部 (@Jurist_Hogaku) 2020年9月14日
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— 有斐閣雑誌編集部 (@Jurist_Hogaku) September 14, 2020
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— 岩波書店 (@Iwanamishoten) 2020年9月13日
#勉強法