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—— その苦しい時期を乗り越えてP&Gで成果を出して、その後USJでも成功をおさめて独立されたわけですが、いま思っていることはありますか

いろいろ経験して、いま私が言いたいのは、日本人は全員、ゆとりを持ちすぎだということです。ふざけてるんじゃないかと。

アメリカほど国も大きくない、資源もない、軍隊もない。なのに、大きな会社の様子を見ていると、一日8時間働こうが10時間働こうが、そのうちの8割くらいの大切な時間を、多くの社員が消費者価値に関係のない、社内だけの内向きな作業に浪費している。誰も何も決めないミーティングのための資料づくりとか、部門や上司の見映えをよくするための召使労働のようなことばかり。

みんなどんどん内向きになって、イノベーションを生み出すために頭を使っている人が減ってしまっています。それで成長が止まってるんですよ。

—— そういう仕事に疑問を持たない人が多いということでしょうか

日本人の大多数が、なんとなく大学に行って、なんとなく会社に入って、なんとなく働いている。このままだと外国に削られて日本が貧しくなってしまって、日本人が食えなくなってしまいますよ。もうそういう未来は見えてきています。

ただ、日本という国の経済力が落ちていくことと、その中で働いている一人の日本人が豊かになれるかどうかは、必ずしも一致しているわけではありません。だから、国がどうなろうとも、個人としての自分が豊かで面白い人生を歩むためにはどうしたらいいか、みんな真剣に考えたほうがいい。それには自分が持って生まれた、誰も盗めない自分の特徴を知るしかない。成功する人はみんな、自分の特徴を生かすように道を歩いてきていますから。

—— 特徴を知るためのヒントはありますか

まずは、T=Thinking、C=Communication、L=Leadershipの3つのうち、どれが自分の強みなのか考えてみるといいと思います。考える力と、人に伝える力と、人を動かす力。この3つの力が秀でていたら、あらゆるビジネスにそのまま応用できると思います。そして、どれが自分の強みかわかったら、それを伸ばすような職能を選んでいく。シンプルではありますが、こういうところから始めていけば、自分の特徴を知って、仕事にも生かせるようになると思います。

—— 若い人は、今やっている仕事でも悩むところがあると思います。そもそもなぜ働くのかとか、どんな仕事を選んだらいいのかとか

これは私の考え方ですが、なぜ働くのかというのは結局、「自分と世界の関わりの中で自分が生きている実感を得たいから」だと思います。人間は社会的な動物ですから、自分が世界に存在している実感は、自分を相対化しない限りは得られません。

もちろん、生きるために働くとか、食べるために働くとか、そういう考え方を否定する気はまったくありません。ただ、世の中がどうなろうが、自分が社会にとって有用な価値を創り出せるようになれば食べていけます。じゃあ、自分が生み出せる価値を大きくしていくためにはどうしたらいいか。それは結局、自分が今できないことをできるようになり続けるということだと思うのです。

そのためには経験が必要です。新たな経験を積むときには不安はあるけれども、最終的には今の自分のままでい続ける方がよっぽど大きなリスクを背負ってしまう。進むのも止まるのも両方リスクがあるなら、前向きなほうを選ぶべきです。

—— それはそうかもしれませんね

面白くもない仕事をずっとやらされて、30代、40代、50代、一番脂が乗ったときに退屈な毎日を送っている人も多いじゃないですか。一番充実した時間を突っ込んでね。それは、新しいことをできるようにするための一歩を踏み出さない毎日を積み重ねたからそうなったんだと思います。本当にもったいないことですよ。

でも、その時々のベストな行動を取っていれば、なんらかの一貫性は見えてきて、それが自分が歩いてきた道になる。自分なりのペースでいいんですよ。しんどい時は、しばらく休んでもいい。また歩き出せばいいんだから。そうやって、世の中に自分が生きている証を残して、その反応で自分がワクワクドキドキする道を歩く。その足跡のことを私はキャリアっていうんじゃないかなと思うんです。

—— 日本でも、キャリア教育をしっかりやろうという流れはありますが、いざ社会に出てみると、そんなに役に立つものではなかったりします。日本のキャリア教育でやってみればいいと思うことはありますか

これはさきほどの特徴を知るという話にもつながるんですが、は「これしなさい、あれしなさい」と子どもに言うよりも、もっと、「あなたのこういうところはすごくいいよね。すごく才能があると思うよ」と、前向きな言葉で本人の特徴を気付かせてあげるようなことを、いっぱいやってあげたほうがいいと思います。無理にキャリアなんか語らなくていいから、「本をこれだけ集中して読めるのはすごいね」「好きなことに集中できるのがあなたの強みだよ」とかね。

あとは学校ですね、体系立てて、世の中はこういう構造になっていて、世の中の真実ってこういうふうになっていて、自分はこう思っているという体験談みたいなものを、もっと大人が学校に来て語ったほうがいい。

アメリカの小学校では、自分のお父さんやお母さんがどんな仕事をやっているか、というのを子どもにレポートさせるんです。それで、お父さんお母さんの仕事の面白いところをインタビューする。

うちの子は、お父さんの仕事の大変なところは、「職場でいじめられてる」って書いていたらしくて。子どもはお父さんが会社でいじめられてるって知ってたんだと。あのときは泣きましたね(笑)。

——(笑)

というわけで、学校で子どもにキャリアのパースペクティブについて語れる仕組みを作るべきだし、大学のときにもうちょっとシステマティックに自分の強みを発掘するようなことをやったほうがいい。

やはり、日本人はSelf-awareness(自己認識)が弱すぎるんですよ。これは日本の国力の弱体化につながってくる。結局、日本がまだ豊かだから、こんなにのんきでいられる。もちろん、大変な思いをしている方もいるとは思いますが、なんだかんだ、まだ本当の地獄は味わっていませんから。

そういうなかで、いま働いている、20代30代の社会人の方こそ、このままやっていて5年経ったときに大丈夫かを考えてほしいですね。5年後、あなたには新しいことが身についていますか。そうでないなら、すぐに転職しなくてもいいので、まずは今の職場で、自分のキャリアの目的に合う新しい能力を身につけるために、最初の一歩を踏み出してみませんか。

そのとき、ストレスもあるかもれませんが、中長期で自由になるために、短期間の不自由はのみ込んで踏ん張ってみてほしい。小さな痛みはのみ込んで、大きな成果に変えましょう。そうやって、世の中に大きな価値を生み出しましょうよ。どうせなら、仕事でワクワクしたいじゃないですか。

ハスのこころは 修証一如 - 東善寺

「何のために勉強しているのかわからない」
という学生や
 「こんなことして何の得になるのか」
といって、人のために尽くすことをいやがる人がいます。

 ハスの花はそういう人に、努力すれば(「修すれば」)、必ずそのあかし(「証あり」)はあるということ、しかもその「証」はあとから現れるものではなく、努力しているそのことじたいの中にすでに生まれているのだと教えてくれています。

 「廊下(ろうか)のゴミを拾(ひろ)ってなんになる」
 「おれが捨(すて)てたんじゃねえ」
という中学生や高校生も
 「ゴミをひろえば、拾うおこないのうちにゴミを捨(す)てない人間になれているんだよ」
と聞かされると、自分から拾うようになります。

 修証一如とは、努力と結果が一体であることをあらわした言葉です。

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自分というものは良い言葉である。
ある物が独自に存在すると同時に、また全体の部分として存在する、自分の自の方は独自に存在する、自分の分の方は全体の部分である。
この円満無碍(むげ)なる一致を表現して「自分」という。
われわれは自分を知り、自分を尽くせば良いのである。
しかるにそれを知らずして自分、自分といいながら、実は自己自私を恣(ほし)いままにしている。
そこにあらゆる矛盾や罪悪が生ずる。

「われわれは自己・自分として自在であると共に、全体に対して分在するのであるから、自らそこに守分というものがなければならない。この自分自身と他己、及び全体との関係を礼という」

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曹洞宗永平寺宮崎奕保禅師

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宇宙人生は天の自慊(じけん)的創造である。自己を実現しつつある努力である。
この絶対自慊にして、何等他に俟つ所を求めない生々化育の努力を「誠」と謂う。
誠は天の道である。誠に由(よ)って萬物があり、誠がなければ物もない。人は、此の誠に由って生き、禽獣と異なって自覚を生じ、誠の誠なる所以を体認して之を発揮するようになる。
これを「誠之(せいし)」といい、所当然の道とも謂う。

人間は進歩しようと思えば、統一がなければならない。教育とは何ぞやと言えば、つまるところは先輩・後輩と長者・少者の連続・連結の役目をなすものでなければならない。
要するに孝という字は、単に親を大事にして、親に尽くすという意味だけではなくて、親子、老少、先輩・後輩の連続・統一を表わす文字である。そういうことを知って孝経や論語を読むと、限り無い教訓がその中に含まれておることがよくわかる。

われわれが覚らねばならない事は、自分というものをお留守にして、ただ他力本願正しい意味の他力本願ではなくて、俗にいう人のふんどしで相撲をとるという他力本願、自分は何もしないで外に求めるという態度ではだめであります。まずそれぞれが己みずからに反って、せめて自分の分野、これを一隅という、これは伝教大師の言葉です。自分が座っている、存在しているその場所、片隅でも自分というもので明るくする。私はこれを「一灯照隅行」、自分が一つの灯になって一隅を照らす行と申しまして、自分が自分の一隅を照らしてゆこうというのであります。
これがわれわれが敬慕してやまぬ維新の志士たちに実に鮮かに実践されて、立派な明治維新というものが大過なく行われたのでありますが、それをわれわれがやること、これより他に解決する道はないと私は思うのであります。

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