秋篠宮さまが示された「皇太子の称号」への難色 「立皇嗣の礼」の裏側
— デイリー新潮 (@dailyshincho) 2020年11月10日
お世継ぎとしての立場を固められた #秋篠宮さま は、実は「皇太子」という称号を望んでいなかったため、今回「#皇嗣殿下」という身位が新たに設けられたという裏事情がある#立皇嗣の礼 #デイリー新潮https://t.co/DHxtfyyxxA
皇室研究者の高森明勅氏が言う。
「今回の立皇嗣の礼のモデルとなったのは1991年の立太子の礼です。これは皇太子であることを内外に宣明する儀式ですが、皇太子というのは次代の天皇であることが規範上、かつ理念上ほぼ確定されているお立場。だから立太子の礼は“次の天皇のお披露目”といっても過言ではありません。一方で皇嗣とは、あくまで現時点で皇位継承順位が第1位であることを意味する呼称。従って立皇嗣の礼とは、次の天皇であることを確定的にする場ではないのです」
遡ること4年、生前退位のご意向を強くにじませた上皇さまの「おことば」を受けて「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」が設けられ、16年10月から議論が始まった。当時、座長代理を務めた御厨貴・東京大学名誉教授が明かす。
「会議が始まった当初は、有識者メンバーの誰もが“次代は秋篠宮さまが皇太子と呼ばれるのだろう”と考えていたはずで、私も観念的にそう思っていました。ところが事務局となっていた内閣官房の人たちと話すうち、当の秋篠宮さまご自身が『皇太子』という称号を望んでおらず、同時に秋篠宮家という家の名も残したいとのご意向が伝わってきたのです。その詳しい理由は分かりませんでしたが、会議はおのずとそうした雰囲気になり、代わりに“皇嗣”という称号が用いられることが決まったのです」
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