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 自分は将来、自然と偉くなるものだと思っていた。小中高と、クラスで一番勉強ができていたし、親も教師も私を特別な子どもとして扱っていたから。

 しかし誰もが気づいている通り、教育課程における「いい子」と、社会における「有能な人間」は同じではない。それどころか、学校での指導に忠実であるほど、社会では「使えない人間」になってしまうケースもしばしばある。かく言う私自身が、そういうケースの典型だった。

 一体なぜ、学校では誰より優秀だったはずの私が、社会のはみ出し者のようになってしまったのだろう。

 私のこの鬱屈とした疑問は、おそらく私自身だけの問題ではない。巷にあふれる「高学歴ニート」や「東大卒フリーター」を題材としたコンテンツからも、悲惨な現状を送る「かつての神童」はこの国に数多く存在していると推察される。

「優等生の没落」が一般的事象であるのなら、もはや学校教育そのもののうちに、何か根本的な歪みが生じている可能性を考えなければならない。すなわち、「学校教育で良しとされる能力・特性」と、「社会で要求される能力・特性」との間に、矛盾・対立があるのではないか、ということである。

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強大なマネーの力を得た
世界の”エリート”らは、恐らく自分たちが法を超越する存在であり、善悪よりも上に存在していると信じているので、この世のいかなる存在も自分たちを止められない事を証明する為に、その力を行使する必要性を感じている。

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反知性主義を科学やファクトを信じないことみたいに言う人がいる。というよりも、インテリ層が独占してきた科学とか真実が本当にねじ曲げられてないのかっていう疑念と、インテリ層の提示する「能力」のモノサシにもはや乗らないぞっていう怒りじゃないかな。

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 残念ながらぼくも、テレビにしょっちゅう顔を出す政治家諸君の20人ほどをよく知っているのだが、困ったことにこれらには、胸中に山水をもつ者がまことに少ない。「達人はすべからく明了」ということがない。「樸実」(ぼくじつ)が結晶していない。ようするに「面目」がない。たんに軽挙妄動が好きな連中なのだ。
 人物が卑しいということは、政治家のみならず、何をもってするにもどんな職能につくにも、最大の欠陥になる。その卑しさが事態を右往左往させることはわかりきったことであろうはずなのに、それでも裏で保身と安泰を貯金しておきたいために、前もって「仁」や「胆」をそなえるということが疎(おろそ)かになる。ライバルを貶めることだけを画策する。そのうち失言や失態を演じる。あるいは裏でコソコソよからぬ者と付き合って、それが明るみに出る。なんたる体たらく。
 加えて昨今は、「種々(くさぐさ)の人材を統(す)べる大才」がめっきりいなくなった。

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