https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

ソビエトアゼルバイジャンアルメニアの係争地、ナゴルノカラバフをめぐる戦闘が停止してから10日で1か月となりました。

しかし、数万人が住み慣れた土地を離れざるを得なくなり、長期的な安定は見通せない状況が続いています。

停戦の発効から1か月となった10日、アゼルバイジャンは勝利を祝うとする軍事パレードを行い、アリエフ大統領は領土を取り戻したと述べました。

ナゴルノカラバフをめぐって、長年、対立してきたアゼルバイジャンアルメニア

1991年から3年間続いた武力衝突のあと、多数派のアルメニア系住民が事実上統治し、アゼルバイジャンは、強く非難してきました。

大国を巻き込んだ和平交渉は行き詰まり、緊張状態が続く中、ことし9月27日、両国は再び衝突しました。

合わせて5600人余りが命を落とした今回の戦闘では、アゼルバイジャン側の支配地域が拡大し、その結果、数万人のアルメニア系住民が、住み慣れた土地を離れざるをえなくなりました。

中には戻る見込みがないとして、自宅に火を放つ人たちの姿もありました。

10月下旬、戦闘を逃れナゴルノカラバフからアルメニアの首都エレバンの郊外に避難してきたワレリー・アルトゥニャンさん(60)は、空き家だった家に妻や子、孫たちと合わせて9人で暮らしています。

住んでいた村が停戦合意によって、アゼルバイジャンの支配地域となり、戻れなくなったのです。

ナゴルノカラバフでは農園を経営し豊かな暮らしだったというアルトゥニャンさんですが、今のところアルメニア政府の支援はなく、近所の人たちの助けとNGOが届ける物資に頼る毎日です。

アルトゥニャンさんは「戦争に負けるとは想像もできなかった。とても耐えられない。お金も何もない。何もできない」と話していました。

さらに息子のサリベクさん(19)は、徴兵されたあと、前線で行方不明になりました。

アルトゥニャンさんは喪失感とともに停戦合意への不満を感じているということで「優秀な指導者がいれば(土地を)取り戻せるかもしれないが、アゼルバイジャン人に故郷を与えるのは残念だ。これなら死んだほうがましだ」と話していました。

戦闘は収束したものの、アルメニアでは10日も、停戦合意に不満を抱く人たちの抗議活動が行われるなど、長期的な安定が見通せない状況が続いています。

アゼルバイジャンアルメニアアゼルバイジャン西部に位置する係争地、ナゴルノカラバフをめぐって長年、対立してきました。

1988年、多数派を占めるアルメニア系住民が、ナゴルノカラバフの帰属をアゼルバイジャンからアルメニアに変更するよう要求したことで、対立が激化し、1991年以降、本格的な戦闘に発展しました。

1994年の停戦後は、アルメニア系住民が事実上統治し、アゼルバイジャンは不満を強めてきました。

その後も、アメリカやロシアといった大国を巻き込んだ和平交渉が行き詰まり、緊張状態が続く中、ことし9月27日、双方は再び衝突。

ロケット砲やドローンを使った大規模な戦闘が続きました。

今回の戦闘ではアゼルバイジャンが、地域大国のトルコの全面的な支持を得て、戦闘を優位に進めました。

一方、アルメニアは、同盟関係にあるロシアから、軍事的な支援を得られず、劣勢に立たされました。

そして11月10日、ロシアの仲介のもと双方が合意した停戦が発効しました。

その合意は、ナゴルノカラバフやその周辺でアゼルバイジャンによる支配地域の拡大を認める内容でした。

また今回の合意に基づき、ロシアは、現地に2000人規模の平和維持部隊を派遣し、単独で停戦の監視にあたることになり、この地域での影響力を強化するねらいとみられています。

今回の戦闘では、双方合わせて5600人を超える死者が出たほか、数万人のアルメニア系住民がすまいを失ったとされています。

#南コーカサス

d1021.hatenadiary.jp

#旧ソ連