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 日本で最初に信号機が設置された1930年当時、日本の法律上でも緑色信号定められていたほか、緑信号と呼ばれていました。

 しかし、信号機設置のニュースを扱った新聞記事などが「青信号」と記載したことで「青信号」という言葉が広がったといわれています。

 その後、青信号という言葉が定着し、1947年には法令上でも青信号と呼ぶように改正されました。

 この緑色を青色と表現するのは、日本で古くから習慣となっています。

 日本人は、瑞々しい緑色の野菜や春の鮮やかな新緑、緑の芝生などを“青々としている”と表現してきた民族です。

 緑色を青色と表現する日本独特な文化的背景と、光の三原色と同じ、赤、青、緑と呼ぶ方が分かりやすいことから青信号という呼び方が定着していったといわれています。

京都市東山区にある花街・宮川町の春の特別公演「京おどり」は今月2日から行われ、11日千秋楽を迎えました。

大正5年(1916年)に建設された宮川町歌舞練場は老朽化のため建て替えられることになり11日がこの会場で最後の公演になります。

新型コロナウイルスの影響で去年は公演が中止されましたが、ことしは座席の数を半分以下にしたほか、出演する芸舞妓を減らしたり、時間を短縮したりするなどの感染対策をとって行われました。

満開の桜をあしらった舞台で春らしい華やかな着物をまとった芸舞妓たちが三味線や笛の音に合わせてしなやかな舞いを披露すると、会場は温かい拍手に包まれていました。

ことし初舞台を終えた舞妓の小はつさんは「感染を防ぐという緊張感がありましたが、伝統の歌舞練場で公演をやり通すことができてよかったです」と話していました。

宮川町芸妓組合の藤原ふく葉組合長は「思い出深い会場での公演が終わると思うと胸がつまります。新しい歌舞練場でも伝統の踊りを披露するためしっかり稽古を積んでいきたい」と話していました。

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