今日はフランスの哲学者ベルクソンの誕生日(1859年)。近代の科学的・実証主義的知性に抗して、生命と精神の独自性を擁護しました。明快で美しい彼の文章は散文としての評価も高く、1927年にはノーベル文学賞を受賞しています。☞ https://t.co/1ujZlV9eFH pic.twitter.com/PAnBPgCM5X
— 岩波書店 (@Iwanamishoten) 2021年10月18日
警察官はなぜ不審者を足止めして質問することが許されるのか 元警察官作家による職務質問講座https://t.co/eUizlKnJP6#職務質問 がなぜ許されるのか。身に何の覚えもないのに、警察官に足止めされた経験がある人にとっては、特に気になる点だろう
— デイリー新潮 (@dailyshincho) 2021年10月17日
その法的根拠について #古野まほろ 氏が解説する
「職務質問の明文の根拠は、たったの一つだけで、警察官職務執行法第2条です。ただ、条文になっていない明文化されていない根拠のほうが数多くあり、それは今後も増えていくことでしょう。
第2条についてはこのあとご説明しますが、昭和23年に施行された超古典的な法律なので、これだけでは意味が通らないとか、複数の意味に取れるとか、令和3年の目の前の問題に対処できないとか、さまざまな〈穴〉が生じます。そのため、その解釈をハッキリさせる必要があります。具体的には裁判所の判例がそれを行います。少し固い言い方をすれば、〈解釈〉=〈判例〉の集積が〈判例法〉となる、それもまた警察官職務執行法第2条と一緒に根拠となる、というわけです。
「いえ、もちろんそんな権限は職務質問する警察官にはありません。『停止させて質問することができる』という規定は、相手方に停止の義務を課すものではないのです。
警察官に実力を伴う停止権限を与えているわけでもありません。相手方に質問に対する回答義務を負わせるものでもありません。
これはあくまでも『相手方の自由な意思で停止するよう求め、そのための説得ができる』『自由な意思で停止してくれた相手方に質問をし、回答するよう求め、そのための説得ができる』──という権限でしかありません。当然、この権限を行使するスタイルは『言葉』による『話し掛け』によるのであって、しかも最初から強い口調で呼び止めることはできません。だから経験のある方はご存じかと思いますが、警察官は最初、比較的丁寧な口調で話しかけてきたはずです」
「もちろんそれで警察官が『そうですか、じゃあまたね!』と立ち去っていては仕事になりませんよね。ここで最初に述べた〈判例法〉が関係してきます。裁判所は一貫して、職務質問においては『強制にわたらない有形力の行使は認められ得る』『強制にわたらない一時的な実力の行使は認められ得る』という立場を採用しているのです。
ではこの『強制にわたらない有形力』や『一時的な実力の行使』とはどういうものか。これについてはそれこそ本の中で相当な紙数を割いたほどややこしい話なので、ここでは割愛させてください。
ただ言えるのは、警察官が『イザというときどのように、どこまで〈有形力〉を行使できるか』ということを常に念頭に置いて職務質問を行っている、ということです。違法だとされないように、しかし不審者を逃さないように、常にギリギリのところで勝負をしている、ということです」
最高裁の「判例集」にミス 誤記載100か所以上見つかる #nhk_news https://t.co/8Ie1lUs5H1
— NHKニュース (@nhk_news) 2021年10月18日
最高裁判所によりますと、誤りが見つかったのは、重要な判決などを掲載する「判例集」と呼ばれる資料で、昭和23年から平成9年の間に出された12件の大法廷判決について、原本と異なる表現が合わせて119か所見つかったということです。
大半は、誤字脱字や句読点の間違いですが、中には表現の一部が欠落するなどのミスもありました。
このうち「死刑制度は憲法に違反しない」という判断を初めて示した昭和23年の判決では、憲法の解釈について触れている表現の一部が抜けていました。
また、アメリカ軍の駐留が憲法に違反するかどうかが争われた「砂川事件」の判決や、国が教育に介入することが憲法違反かどうかが争われた裁判の判決でも、文章の一部が原本と異なる表現になっていました。
さらに、最高裁がホームページに掲載している判決の記載でも、合わせて248か所の誤りが見つかったということです。
「判例集」は、法律の研究やほかの裁判でも引用されるため、研究者からは「信頼性が揺らぎかねない」という声も出ています。
最高裁は「利用者及び国民の皆さまに大変申し訳なく思っている。重く受け止め、しかるべき調査を行う」としています。
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