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書類送検されたのは東京 新宿区の食品メーカー「中村屋」の埼玉県内の工場に勤める52歳の係長と、法人としての中村屋です。

警視庁によりますと係長は、ことし6月までのおよそ2年半にわたり、人材派遣会社から派遣されたネパール人6人について、資格外の活動にあたると知りながら工場で業務をさせたとして、不法就労助長の疑いが持たれています。

係長は、工場で派遣労働者の受け入れを担当していましたが、ネパール人と人材派遣会社がことし8月に検挙され、警視庁が捜査した結果、係長が不法就労にあたると知ったうえで受け入れた疑いがあることが分かったということです。

ネパール人は、あんみつの容器にシールを貼り付けるなどの作業に従事していたということで、係長は任意の事情聴取に対し容疑を認め「人手不足のため、人材を確保することを優先してしまった」と話しているということです。

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1918年に娘がインドの独立運動家のラス・ビハリ・ボースと結婚をしたことから、ボースから米(白目米)や鳥(軍鶏)にまでこだわった本格的なカリーの調理を学び、1927年(昭和2年)6月12日に当時の日本では珍しい純インド式カリーを販売している。本店のカリーのキャッチフレーズ「恋と革命の味」はここから生まれ、引き継がれている。また中村屋では発売開始日の6月12日を「恋と革命のインドカリーの日」と定めている。

フランスパンを日本で最初に発売した京都の進々堂創業者の続木斎や、山﨑製パン創業者の飯島籐十郎も相馬のもとで勤務していた。

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武器のインドへの輸送がイギリスの官憲に見つかるとともにボースの密入国大英帝国に知られ、当時大英帝国と同盟関係にあった日本政府は、英国政府の要求により1915年11月28日にボースに対する国外退去命令を発令した。孫文はこれに対するため頭山満をボースに紹介した。頭山や犬養毅内田良平などのアジア独立主義者たちはボースの国外退去命令に反発し、新宿中村屋相馬愛蔵・良夫妻によってボースをかくまわせることを工作し、その後4ヶ月間、ボースは中村屋のアトリエに隠れて過ごしている。やがて頭山らの働きかけもあり、同年中に日本政府はボースの国外退去命令を撤回した。しかしイギリス政府による追及の手は1918年(大正7年)まで続き、ボースは日本各地の17箇所を転々と移り住む逃亡生活を送った。

頭山の媒酌により1918年にボースは逃亡中の連絡係を務めた相馬夫妻の娘、俊子と結婚し1923年(大正12年)には日本に帰化してインドの独立運動に没頭できるようになった。

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#気象・災害

書類送検されたのは、福岡県中間市にある「双葉保育園」の浦上陽子前園長(44)と当時の担任の保育士ら合わせて4人です。

警察によりますと4人は、ことし7月保育園の駐車場で、倉掛冬生くん(当時5歳)が、登園時の送迎バスに乗ったままなのに十分に確認をせず、その後も欠席したと思い込んで保護者への確認を怠るなどして、熱中症で死亡させたとして業務上過失致死の疑いが持たれています。

当時、冬生くんは鍵がかけられた送迎バスの車内に、およそ9時間取り残されていて、警察が炎天下の当時と同じような条件で検証した結果、バスの車内の温度は50度以上に上昇したということです。

これまでの調べによりますと、前園長は1人でバスを運行したあと、園児を降ろす際に車内の確認をせずに鍵をしめたほか、園児を車から降ろす補助をした保育士も車内の確認をせず、担任や副主任の保育士も保護者から欠席の連絡がなかったのに、確認を怠っていた疑いがあるということです。

警察によりますと、調べに対し4人は容疑を認め、このうち前園長は「安全管理ができておらず、死なせてしまいました。申し訳ありませんでした」などと話したということです。

当時の園長らが書類送検されたことを受けて、亡くなった倉掛冬生くんの母親がコメントを発表しました。

この中で、母親は「冬生が亡くなった事件から4か月余りが経ちますが、今もずっと冬生のことを考え、悲しさと悔しさでいっぱいです。あの日の冬生のことを思うと可哀そうで可哀そうでなりません」と心情をつづっています。

そして、当時の園長ら4人が業務上過失致死の疑いで書類送検されたことについて「幼い冬生が長時間、地獄のような暑さの中に閉じ込められ、想像もできないほどの苦しさと孤独の中で命を落としていったことを思えば、法律上の限界があることは分かりつつも、業務上過失致死罪というのは余りにも軽い刑罰だと感じてしまいます」としています。

そのうえで「いかなる罪になろうと冬生が戻ってくることはありませんが、このような悲劇が二度と起こらないためにも、冬生の死に関わった人には出来る限り重い処罰がかされることを願っています」としています。

今回の事件を受けて、福岡県と中間市は保育園側に対して特別監査を実施して改善勧告を出すとともに、県は再発防止に向けて送迎バスの運用指針をまとめるなど対策を打ち出しています。

福岡県と中間市は、事件後のことし8月に特別監査を行い、子どもたちの出欠確認の方法や無断欠席した園児の保護者への連絡について明確なルールがないことなど、事故防止や安全対策の指針に抵触する事実が確認されたとして、保育園を設置する社会福祉法人に対して改善勧告を出しました。

これを受けて、保育園では送迎バスを1人で運行していた当時の園長が辞任し、県に対して組織の改善や信頼回復への取り組みをまとめた報告書を提出しています。

さらに、福岡県と中間市は今回の事件とは別に、保育園で不適切な保育があったという情報を受けて、ことし9月から10月にかけて再び特別監査を行いました。

その結果、職員が園児をたたくなどの不適切な行為も確認されたとして、10月に保育園を設置する社会福祉法人に対し、2度目の改善勧告を出しました。

保育園側は、不適切な保育が行われていないかチェックリストを使って定期的に点検することなど、再発防止策を盛り込んだ報告書を先月、県に提出したほか、今月11日には保護者に対する説明会を開いて謝罪しています。

一方、福岡県は再発防止に向けて、送迎バスには運転手以外に職員を1人以上添乗させて、児童の乗り降りを確認するよう求めることなどを盛り込んだ運用指針をまとめ、県内の施設に通知しています。

また、国も、全国の保育園や幼稚園などに、登園時には複数の職員で子どもの人数を確認するなど、安全管理の徹底を求める通知を出しています。

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#法律

#アウトドア#交通