#天皇家
1890年3月6日、明治政府が丸の内を三菱に払い下げました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2022年3月5日
当時の丸の内は荒れ野で、三菱二代目当主の弥之助は貧乏くじを引いたつもりで払い下げを受けたと言います。
その後三菱は、丸の内をレンガ造りのオフィス街へと変貌させてゆき、「一丁ロンドン」と揶揄される日本経済の中心地になりました。 pic.twitter.com/8MT7oHDo0u
1968年3月6日、『華麗なる一族』のモデルにもなった山陽特殊製鋼株式会社が倒産しました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2022年3月5日
オリンピック後の景気後退で鉄鋼需要が低迷し、銀行からの融資を返済できなくなった結果でした。
同時に経営陣たちの粉飾決算も明らかになり、この事件を発端に企業への監査体制が見直されることになりました。 pic.twitter.com/iRA1qZqKBr
「ニホン」と「ニッポン」、日本の読み方はどちらが正しいのでしょうか。実は日本政府でさえ読み方を定めていません。 https://t.co/gg82VB01wu
— ダイヤモンド・オンライン (@dol_editors) 2022年3月5日
「日本」という国名は、唐王朝から名付けられたもので、文献に現れる最古の記録は『旧唐書』東夷伝に残っていて、およそ700年頃のことであると考えられています。
そして、中国では、「日」がniet(ニェット)、「本」がpuən(プァン)と発音されていました。
およそ平安時代の前期、菅原道真(845年~903年)の頃までは、日本には「ハヒフヘホ」という発音はなく、現在のハ行はすべて「パピプペポ」と発音されていました。上下の唇を合わせてパクパクすると出る音です。
ところが、これが平安時代中期『源氏物語』が書かれる1000年頃になると、上下の唇を合わせながら、空気を出さない「ファ、フィ、フゥ、フェ、フォ」という発音に変わってしまいます。
すると「日本」の読み方も、「ニッポン」から「ニフォン」へと変化するのです。
とは言っても、「ニッポン」という読み方がなくなってしまうわけではありません。「ニッポン」という言い方と同時に、「ニフォン」という言い方も並列して使われるようになってくるのです。
ところが、この「ニフォン」という発音は、江戸時代になると「ニホン」と今と同じような発音になってしまいます。
とくに、べらんめえ調と呼ばれるような江戸っ子の、早口の会話では「ファ、フィ、フゥ、フェ、フォ」というまどろっこしい発音より、咽から息が勢いよく出る「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」が使われるようになったのです。
江戸の「日本橋」が「ニホン橋」と発音されるのはそのためです。
これに対して、大阪の「日本橋」が「ニッポン橋」と呼ばれるのは、古い平安時代以来の伝統を守った発音をしているからなのです。
さて、「日本」を「ニッポン」という読みに統一しようとする動きが昭和9(1934)年に起こりました。
当時は、日中戦争などが始まろうとしていた時期で、軍部が非常に力を持っていた時代です。「ニホン」よりも「ニッポン」という、より力強く聞こえる音にした方がいいという意見が出たのです。
ところが、皇室を中心とした和歌の伝統のある世界では、「ニッポン」のような促音を好みません。濁点や半濁点、促音などのない世界こそ、清なる和語の伝統だと考えられています。
こうしたことから、「日本」を「ニッポン」に統一することはできなくなってしまったのです。
さらに昭和45(1970)年、「大阪万国博覧会」を前に、「日本」を「ニッポン」へという意見が国会で議論されました。しかし、ここでも結論は出ず、問題は先送りにされています。
「日本大学」は「ニホン大学」、「日本郵政」は「ニッポン郵政」……すでにいろんな呼び方があるものを、統一することは結局できなかったのです。
ただ、こうした古い伝統的読み方をずっと持ち続けながら、さらに新しい読み方も受け入れていくという態度こそが、日本文化の特色とも言えるでしょう。
その理由を考えていくと、じつに深い、日本文化の淵源に触れることにもなるのです。