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オルブライト氏は1937年、当時のチェコスロバキアの首都プラハで生まれ、共産党政権が樹立したあと、アメリカに移住しました。

1978年から1981年まで、ホワイトハウスで安全保障政策を担当するブレジンスキー大統領補佐官のもとで、スタッフとして勤務しました。

そして1993年、クリントン政権の1期目で国連大使に任命されたあと、2期目の1997年には女性として初めて国務長官に就任しました。

オルブライト氏は国務長官として、NATO北大西洋条約機構の拡大を推進し、ヨーロッパ東部の国々の加盟の実現に力を入れました。

また、1999年には、コソボで独立を求めるアルバニア系住民と、それを阻止しようとするセルビアの治安部隊の衝突が激化すると人道危機を回避するためとして、NATO軍による軍事介入を推し進めました。

2000年には、アメリカの現職閣僚として初めて北朝鮮を訪問し、当時のキム・ジョンイル総書記と直接会談し、ミサイル開発の問題などについて意見を交わしました。

家族がツイッターに投稿した声明によりますと、オルブライト氏は23日、家族や友人が見守る中、がんのため亡くなったということです。

アメリカの国連大使も務めたオルブライト氏のために、国連安全保障理事会の会合で23日、各国の大使らが1分間の黙とうをささげる場面がありました。

黙とうは、今月の議長を務めるUAEアラブ首長国連邦のヌサイベ国連大使が会合の冒頭で呼びかけました。

ヌサイベ国連大使は、自身がUAEで初めての女性大使であることに触れたうえで「オルブライト氏は女性大使のために非公式のグループを作り、それは国連にとって重要なステップになった。多くの女性大使がオルブライト氏に感謝している。いつの日か、大使の半数が女性になる日がくるかもしれない」と述べ、功績をたたえました。

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チェコスロバキアプラハに誕生する。出自としてはユダヤ系であるが、カトリック教徒として育てられた。第二次世界大戦中はイギリスに避難していたためナチスの人種理論によるホロコーストを免れたが、祖父母3人を含む親戚多数がホロコーストで殺されている。戦後チェコスロバキアが共産化したため、1950年にアメリカ合衆国に移住。1959年にウェルズリー大学を卒業し、ジョンズ・ホプキンス大学を経てコロンビア大学政治学修士及び博士号を取得し、ロシア研究所にも在籍していた。

1978年から1981年まで国家安全保障会議スタッフを務めた後、ジョージタウン大学でソ連外交を教える。この時の教え子に日本の河野太郎元外相や山本一太群馬県知事がいる。

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