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「法律事務所での法務助手としての給与は年に650万円ほどで、表向きの収入と家賃などを含めた支出の額が見合っていません。見合っていないうえに法律事務所を解雇ということになれば、海外よりも皇室側から何かと便宜を図りやすい一時帰国が現実味を帯びてくるとは宮内庁内で指摘されています」(同)

 解雇になるか否かは法律事務所経営陣に委ねられているわけだが、

「今回、残念な結果になったとしても解雇される可能性は低いのではないかとの見方もあります。法曹資格を得る前提で雇用してはいるものの、事務所としては小室さん夫妻の背後にある皇室との関係を高く評価しているという説も根強い。それを踏まえれば、眞子さんと関係が切れない限り、圭さんの雇用は続く可能性があるわけです」(同)

 とはいえ、折からのインフレと円安の直撃を受けて生活費が高騰する中、生活は楽ではないだろう。

「それでもニューヨーク滞在を続けられているのは、圭さんに約650万円以上の報酬が支払われているとか、眞子さんの1億円とも言われる貯金を取り崩しているとか、足長おじさん的なタニマチがいるとか、さまざまに言われてきたのも事実です」(同)

秋篠宮さま自身は、圭さんが法曹資格を得るかどうかにこだわっているフシはないようです。元新聞記者のジャーナリストが秋篠宮さまに直接取材し、その肉声をまとめた書籍『秋篠宮』でも、その旨を吐露されていましたね。ただ、合格するまでは“慎むべきこと”について小室さん夫妻との間で“約束”のようなものがあるそうです」

 と、別の記者。その“約束”とは――

「お子さんのことですね。現状、圭さんは無職というわけではありませんが、ニューヨークで地に足のついた生活ができているというふうに秋篠宮さまは捉えておられないということなのでしょう。仕事と試験勉強をしながらそこに子育ても絡んでくると、何かがおろそかになることは十分予想される。課題をひとつずつ解決して行くようにと秋篠宮さまから小室さん夫妻に伝えられて、夫妻側もそのことに理解を示していると聞きました」

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#天皇家

沖縄から疎開する子どもたちなどを乗せて長崎に向かっていた対馬丸は、78年前の昭和19年8月22日、鹿児島県の沖合でアメリカ軍の潜水艦に撃沈され、800人近くの子どもを含む1484人が犠牲になりました。

撃沈から78年の22日、那覇市の慰霊塔の前で行われた慰霊祭は、去年に続き新型コロナの影響で規模を縮小し生存者や遺族などおよそ10人が参列しました。

参列者は午前10時すぎ、船の汽笛の音に合わせて全員で黙とうをささげました。

このあと家族11人で乗り込み、両親ときょうだい合わせて9人を亡くした対馬丸記念会の高良政勝代表理事(82)が「ウクライナでは罪のない多くの住民や子どもが命の危機にさらされている。武器で戦うのではなく、『ことば』を戦わせて物事を解決する道を探ってほしいと、対馬丸の子どもたちは願っていることだろう」と追悼のことばを述べました。

慰霊祭のあと、高良代表理事は「ウクライナで一般の人や子どもたちが犠牲になっている状況は対馬丸と同じで、戦争の不条理を感じ本当に悲しいし、人間は、過去の歴史に学ばないのかという感じでいっぱいだ。未来の子どもたちのために対馬丸の惨劇を伝え続けていきたい」と声を震わせながら話していました。

終戦直後の北海道沖で樺太、今のサハリンからの引き揚げ船3隻が旧ソビエト軍とみられる潜水艦に攻撃され、合わせて1700人余りが命を落とした「三船遭難事件」から22日で77年です。現場の海域に近い留萌市で犠牲者を追悼する慰霊祭が行われました。

事件の遺族会が開いた慰霊祭には、遺族5人を含むおよそ50人が参列しました。

「三船遭難事件」では、終戦から1週間たった昭和20年8月22日、樺太から引き揚げる子どもやお年寄りなど多くの市民を乗せた「泰東丸」と「小笠原丸」それに「第二号新興丸」の3隻が北海道の日本海側の沖合で潜水艦から魚雷攻撃を受け、合わせて1700人余りが命を落としました。

1990年代に見つかった資料から旧ソビエト軍による攻撃だったとみられていますが、現在のロシア、日本の両政府による事実関係の確認は進んでおらず、77年たっても全容は明らかになっていません。

慰霊祭では、遺族会の八巻信宏会長が「いまだ日本とロシアの両政府は事実関係を公式に認めていないが、事件を語り継ぎ、平和を訴えていくことが私たちの使命だと考えている」とあいさつしました。
このあと、参列した人たちは現場の海域を見渡す高台にある慰霊碑の前で、静かに手を合わせて亡くなった人たちを悼みました。

遺族会の事務局を務め、前会長の妻として長年慰霊祭を行ってきた永谷操さんは「大事なことは三船遭難事件を忘れず後世に語り継いでいくことだと思う。戦争というと遠い昔のことのように思えるが、ウクライナではロシアによって大勢の人が殺されているのを私たちは毎日つらい気持ちで見ている。二度と同じようなことが繰り返されないようにしないといけない」と話していました。

22日の慰霊祭には、77年で初めて参列した遺族もいました。

盛岡市の長岡栄一郎さんは、事件で「泰東丸」に乗っていた父親の前の妻とその息子が命を落としました。

事件のことは子どものころから父親から話を聞き、2人の墓参りは続けてきましたが、退職したのをきっかけに初めて慰霊祭に参列しました。

長岡さんは「2人が77年前に亡くなった時にどのような気持ちだったのかと考えながら慰霊祭に参列した。念願だった慰霊祭に来ることができてよかった。政府には事実関係をはっきりと確認して認めてほしい」と話していました。