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去年9月、港区東麻布の首都高速道路都心環状線で、ごみの運搬車が乗用車に追突されて横転し、運転していた60代の男性が全治3か月以上の大けがをしました。

この事故で、警視庁は、乗用車を運転していた住所不定、自称・建設作業員の伊東祐貴容疑者(31)を過失運転傷害の疑いで逮捕しました。

時速50キロの制限速度の2倍以上のスピードで走行していたということで、警視庁は、高速道路をレース場のように猛スピードで走り回るいわゆる「ルーレット族」とみています。

調べに対し「都心環状線を2周ぐらいドライブしていた。事故を起こしたのは間違いないが、スピードは出していない」と供述し、容疑を一部否認しているということです。
警視庁によりますと、「ルーレット族」をめぐっては、新型コロナの感染拡大に伴う外出の自粛で高速道路の交通量が減ったことをきっかけに、おととしごろから増えているとみられ、ことし、都内でルーレット族が関係する事故は、1日までに9件発生し、1人が死亡しています。

警視庁は、スピード違反を取り締まる機器を増設したり、パトロールを増やしたりして対策を強化しています。

武村氏は滋賀県出身で、旧自治省に入省後、滋賀県八日市市長や滋賀県知事を経て、昭和61年の衆議院選挙に自民党から立候補して初当選し、連続4回当選しました。

この間、武村氏は、リクルート事件をきっかけに党内の若手議員が結成した「ユートピア政治研究会」の代表を務め、政治改革を目指す若手のリーダー格として頭角をあらわしました。

そして、平成5年6月には、政治改革に対する自民党の取り組みを批判して、10人で自民党を離党し、「新党さきがけ」を結成して、みずから代表に就任しました。

直後の衆議院選挙では、日本新党などとともに、いわゆる「新党ブーム」を起こし、自民党政権に代わる、細川連立政権を樹立する原動力となりました。

武村氏は、細川内閣では官房長官を務め、細川総理大臣の女房役として内閣を支える一方、連立政権の中心的存在の旧新生党小沢一郎代表幹事と、政権内の主導権争いなどを背景に、対立していきました。

その後、武村氏は、細川総理大臣の「国民福祉税」構想に正面から異を唱えるなど、次第に細川氏との対立も表面化し、羽田内閣の発足にあたって「新党さきがけ」は閣外協力に転じます。

これをきっかけに、武村氏は、同様に連立政権から離脱した旧社会党村山富市委員長と連携し、自民、社会、さきがけの3党で連立を組み、村山内閣を発足させ、大蔵大臣として政権を支えました。

新党さきがけ」は、平成8年、中心メンバーだった鳩山由紀夫氏らが離党して旧民主党を結成し、武村氏らの参加を拒んだことから分裂しました。

その後も党勢の回復はできず、平成10年、党名を「さきがけ」に変え、事実上、解党する形となりました。

武村氏自身も、平成12年の衆議院選挙に無所属で立候補しましたが、健康面での不安を抱えて思ったような運動ができず落選し、その後、政界を引退しました。

武村氏は、9月28日、亡くなりました。88歳でした。

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