https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

〈今思い返すと畏れ多いことなのだが、この吹上御苑を両陛下に案内していただいたことがある。きっかけは、二〇一四年十二月十九日の四回目の懇談の折、終戦時の御前会議の話が出て、半藤さんが「あの防空壕は、今はどうなっているのでしょうか。一度、見てみたいのですが……」と申し上げたことだった。防空壕とは、昭和天皇終戦のご聖断を下した御前会議が開かれた「大本営地下壕」(御文庫〔おぶんこ〕附属庫)を指している。

 枯芝の先に古い、いかつい重厚な建物が立っていた。陛下はそこまで来てようやく、

「ここですよ、この前のお話に出ていた防空壕の入口は」

 と教えてくれた。草木に覆われた向こうにコンクリートの壁と鉄の扉がわずかに見えた。

 陛下にうながされる形で、私たちは防空壕の入口に近寄った。分厚い鉄とコンクリートで作られた建造物であることは一目でわかった。鉄の扉を触り、鉄格子越しに中を覗いてみたが、その奥がどうなっているのかは暗くてまったく見えなかった。

 戦争末期、長野県の松代で大本営移転のための工事が進められたが、それ以前に皇居内に会議ができる大本営の防空設備が必要だとなり、陸軍築城部が建設したのがこの大本営防空壕だった。昭和天皇が空襲を避けるために使われていた住居兼防空施設「御文庫」と地下通路でつながっているので御文庫附属庫とも呼ばれる。

 宮内庁はその年の8月、戦後70年の終戦記念日直前にこの防空壕内部の写真を公表する。

d1021.hatenadiary.jp

#天皇家