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10月9日「内発の力①」1
思想とか信念とか信仰とかいうものは他から与えられたものでは駄目で、個人の魂、個人の人格を通じて発してくるものでなければならない。どんな立派な理論信仰でも、それが自分の中を通じてこなければ、決して生きた力にはならない。
かの日蓮という人が出れば、日蓮を通じて法華経は新しく活かされ、あのような新宗教になる。しかし法華経というものは新しいものでも何でもない。

任性逍遥 隨縁放曠
但盡凡心 無別勝解

性に任せて逍遥し 縁に隨って放曠す
ただ凡心を盡くすのみ 別の勝(聖)解無し
天皇道悟)

世の常の心を遺憾なく発揮する、本性のまま逍遥することであります。縁にに隨って放曠する。一切は縁起であります。縁に隨ってまかせる。必要などと別にあるわけではない。ただ世の常の心を遺憾なく発揮するだけのことである。

徳山はこういう心を称して無心と言っております。
(『論語老子・禅』)

百朝集その39.真の幸、不幸

或る人問ふ、人、患難に遭ふ、これ不幸なる事か。
曰く、患難は亦これ事を経ざる人の良薬なり。
心を明らかにし、性を錬り、変に通じ、権に達する、正に此の処に在つて力を得。
人生最も不幸なる処は、これ偶々(たまたま)一失言して禍及ばず。
偶々一失謀して事倖成し、
偶々一恣行して小利を獲ることなり。
後乃ち視て故常となし、恬として意と為さず。
則ち行を敗り検を喪ふことこれより大なる患なし。
(金蘭生『格言聯壁』)

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