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11月10日「女性に望む」

私は少年の頃幾度も故老から、もし旧幕時代に「武士の娘」という教育がなくて、あのだらしない江戸武士と、似た者夫婦の女だけであったなら、とても徳川幕府はあんなに保てなかっただろうという述懐を聞かされた記憶がある。
男性が女性に掲望する至極のものは、あくまでもゆかしい心情であって、決して知識や技術や職業的活動などではない。なまなましい現実の必要に肱惑いて、軽率に女性の男性化を促すようなことをすれば、男性や国家への協力に似て実は恐るべき荒廃に沈む。
没我の愛とそれによって輝く叡智、こまやかな心づかい、ゆかしい礼節、そうした心情に養われた妻や母が一人でも多くあってこそ、国家は興隆し、外国も懐くだろう。

「知識・見識・胆識」

この人生、人間生活とはどういうものであるか、或いはどういう風に生くべきであるか。
というような思慮・分別・判断というようなものは、単なる知識では出て来ない。
そういう識を「見識」という。
しかし如何に見識があっても、実行力、判断力がなければ何にもならない。
その見識を具体化させる識のことを「胆識」と申します。
けれども見識というものは、本当の学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。
更にそれを実際生活の場において練らなければ、胆識にはなりません。
(干支新話)

百朝集その71.秋の思

秋の夜を 寝られぬ人の 尊さよ(新六「発句五百題」)

秋の色の 白きはこれか 今朝の露(正俊「明題集」)

秋光の しみ入る土を 耕せる(川口進(現代))

思ふことさしてそれとはなけれども 秋の夕を心にぞ問ふ(宮内卿新古今集』)

古より秋に逢えば寂寥を悲しむ
我は言ふ秋日・春朝にまさると
晴空一鶴 雲を排して上る
すなはち詩情を引いて碧霄(へきしょう)に到る
(劉禹錫「秋思」)

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