「誰にでも分かるような言葉でしゃべることのできない人間は、本当の政治家ではありません。(中略)そして何より、国民の皆様が何に怒り、何を望み、何を信じたいのか、それが分からない人間は、本当の総理大臣ではないんです」
■
- 作者: 日本経済新聞社
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2008/06
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 16回
- この商品を含むブログ (10件) を見る
■
新入試制度では1次で声楽、バレエの実技を廃止して面接のみとし、合格者数は約120人から約400人に増加。さらに2次は合格者数こそ現行と同じ40人だが、当日配られた譜面を歌う伝統の試験「新曲視唱」を廃止。代わって事前に課題曲を発表して声量や声質を審査するほか、舞踊も技術面より、身体的能力を重視する。
同校は受験生離れの原因のひとつに、受験準備のための民間スクールの存在があると分析。厳しいレッスンを積まなければ入学できないという「敷居の高さ」が、受験回避につながっていると考えた。
スクール関係者は「将来性や素質を重視するという新制度は、厳しい環境に身を置こうとする若者の志を失わせるだけだ」と、名門校の変革を、厳しい目で見つめている。
宝塚歌劇に詳しい演劇コラムニストの石井啓夫さんの話「近年、完成度の高い受験生を宝塚音楽学校に入学させても歌劇の大スターは誕生していない。受験時に歌もダンスも下手だった鳳蘭がトップスターに成長した例があるように、今回の素質を重視した改革は、本来あるべき受験の姿に戻ったともいえるし、今後潜在的な受験者数も伸びる可能性がある。一方で民間スクールは、技術があってもスターになれるわけではない、という芸能の前提を理解すべきだろう」
■
齊藤さんはその澄んだ瞳で"野生に帰す"ことを見据えています。
強く。心から。。。
それは、「環境のため」という言葉では表せないような深い思いがあるように見えました。
■
日本では特に、大規模小売りの問題をはじめ、優越的地位の乱用が目に余ります。自分の努力、やり方だけで安い価格を提供しているのではなくて、納入業者をいじめることによって安く販売している事例が多い。安く売れば消費者は喜びますが、“納入業者いじめ”で安くすることは、競争のあり方としておかしいと思います。
米国でも日本的な泣き寝入りはあると思いますが、日本ほど社会的な問題にはならない。なぜなら、不当なことをされた被害者は多くの場合、裁判所に訴えるからです。日本のように「長年の商慣習でございます」なんて言って、泣き寝入りすることは少ない。
しかし、多くの中小企業は、「いやいや、とても自分の名前は名乗れない」と訴えることを尻込みします。「名乗ったら、取引を止められてしまう」と。だから、政治家や商工会議所などに泣きついてくるわけです。結局、日本の場合では「公取委が何とかして取り締まってください」となる。
しかし、市場支配的地位の乱用(排除型私的独占)や優越的地位の乱用は、本当にそれが国民経済に悪影響を与えているのかどうか、本当に競争を制限しているのかどうか、という見極めが大事になります。そういう意味では、今まで以上に高度な判断が必要になります。
■
首相懇談詳報(1) 内閣改造は「白紙、それ以外になし、白紙!」
財政規律を守るために2200億円が絶対かといわれれば必ずしもそうではないが、しかし、やっぱり象徴的な存在であることは重く受け止めないといけない。世の中の人に誤解を与えてはいけない、ということがある。なので、この扱いは慎重でなければいけないということだ。
要するに、将来につけ回しをするかどうかという問題だ。それをしないための一つのタガみたいな役割を果たしている。
首相懇談詳報(2) コメ減反政策で「需要がないから減反する。1杯を2杯、2杯を3杯、1回を3回食べる。コメ食おう!」
「減反…、だから需要が増えればね。需要が増えれば減反なんかしてられないというところが出てくる。あくまでも需給関係だ。需給関係。それは皆さんがさぁ、1杯を2杯、2杯を3杯、1回を3回食べるとかすれば、随分変わると思う。そうすれば、結果として自給率も上がる。減反も減らすことができる。需要があって初めてできることだ。需要がないから減反する。コメ食おう!」
■
「『謝罪しろ』『謝罪しろ』と言って無理強いする謝罪は100回聞いても本当の謝罪ではない」と指摘。同時に、過去を問い詰めて「けんか」をするつもりはなく「日本とも真の協力を通じて共同繁栄しなければならない」