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「斎藤教授のホンネの景気論」第70回「問題は日銀総裁の『空席』より政策次元の『空白』――手詰まる金融政策の転換の可能性を探れ」

 98年の新法で速水優氏、福井俊彦氏と日銀プロパーが2代にわたって続き、これでやっと日銀総裁人事は、戦後一貫して大蔵省次官経験者と日銀プロパーとが交互に占めてきた「たすき掛けの法則」から自由になったのかなあと得心し始めた矢先、今般の「武藤氏が駄目ならば、次も大蔵人材の田波氏」と相成った。財務省の「たすき掛け復活」への並々ならぬ執念やこだわりは、誰の目にも明らかだ。

 筆者が「財金分離」原則にこだわるのは、上記の表面的な事由だけでなく、看過しえない重大な論点がそこには潜んでいるとみるからだ。それは日本の統治構造の根幹に根深くかかわる。この点について多くの論者やメディアは、気づかぬか過小評価したままだ。

 まず、FRB議長のボルカーだが、彼が仕事上のキャリアをスタートさせたのは財務省ではなく、ニューヨーク連邦準備銀行(米国の中央銀行)からだ。その後大手民間銀行であるチェース・マンハッタン銀行のトップなどの要職を経験し、財務省次官に就任、そしてFRB議長になった。財務省の「子飼い(プロパー)」では元々ないし、米国の官僚機構では日本と異なり、基本的に枢要な行政職は「政治的任命」である。独連銀(ブンデスバンク)総裁のティートマイヤーも、キャリアを財務省ではなく、経済省から始め、通貨・金融問題の専門家として西独国内だけでなく、国際的に活躍した後に、財務省次官に就任。その後連銀の副総裁として、東西ドイツ統一のもとでのマルク問題に精力的に取り組んできた人物で、財務省の「子飼い」ではない。

 フランス銀行総裁のトリシェは、フランス特有のエリート養成機関、国立行政学院(ENA)の出身で、個別官庁でなく、総合エリート行政官として研さんを積み、時の政権や有力な政治家の経済顧問(ジスカール・デスタン元大統領など)として敏腕を発揮、大蔵省国庫局長から中銀総裁に就任した。フランスの場合は日本より格段に官僚制国家の様相が強く、彼は中央エリート官僚の出身ではある。だが、大蔵省という「特定官僚組織」の「子飼い」ではなく、日本の官僚制とは異質な人材システムに出自を持つとみるべきだ。

 以上、日本のメディアなどで「欧米では財務次官の経験者が中銀総裁になるのはよくあることだ」との解説は、誤りか誤解を受けやすい。まして、日本のような大蔵と日銀の「たすき掛け人事ルール」は、世界的に全く異例だし、受け入れにくいロジックだ。