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Vol.24 今, 求められる「社会のための科学・技術」という自覚 科学・技術のあり方を問い直す(PDF: 161kbyte)

村上陽一郎 東京大学名誉教授

明治時代においては,列強の外圧に対する危機感が非常に強かったために,愛国心が強い意味を持っていたのは間違いないでしょう。ただ,それが戦争中に歪んだ方向に走ってしまった。その結果としての戦後があって,反省があまりに大きかったのでしょうね。統一的な理念を持たないことが正しく,デモクラシーだけが唯一の価値あるものだと考えられるようになったのかもしれません。しかし実は,そのデモクラシーのお手本だと思われているアメリカでは,独立宣言でも合衆国憲法でも「Democracy(民主制)」という単語は使われていません。「Republicanism(共和主義)」は使われていましたが。「アメリカン・デモクラシー」が一種の理念として定着するのは,19世紀半ば,フランスの政治思想家トクヴィルが『De la de´mocratie en Ame´rique(アメリカの民主政治)』という本を発表してからです。その中でトクヴィルは,デモクラシーが真価を発揮するための大前提は,人々が自分たちのコミュニティに対してどれだけ貢献できるかという自覚を持つことだと明言しています。つまり,ほんとうの意味でのデモクラシーとは,公共善を軸としたものでなければならない。ところが,日本では,その部分が抜け落ちたままになっているために,だんだんと歪みが拡大してきたのではないでしょうか。日本という国に対して,あるいは,環境問題を考えるなら地球全体に対して,自分が何をできるか,どう貢献できるかを一人一人が自発的に見いだすことは,これからの社会のあり方,個人の生き方だけでなく,科学・技術の方向性にも重要な意味を持つと思います。

 フランス革命は、王様じゃイカンというところから起こったのだから、もっと優れた人間に政治をやらせなければならん、という発想がある。
 だから、フランスではエリート主義が民主主義の上位の概念になっている。
 そして、米国では共和主義ということになっている。これは共和党民主党に尋ねると「よく訊いてくれた。その通りだ」と答える。
 わが国でも、支配的な憲法学説では、民主主義は手段原理だと説明されている。
 ところが、社会党や左翼マスコミが民主主義を目的であるかのように主張してきた。しかも、その内容が社会主義だったのだ。