西尾幹二のインターネット日録 » 佐藤優さんからのメッセージ
自由でありすぎる時代に生きて、自由であることはむずかしい。枠にとらわれないでいようとするだけでは自由にはなれない。
いまは未来がまったく見えない時代に入ったから、かえって生き生きできるのである。間違えることを恐れる人間はかならず脱落する。精神は冒険を求めているのである。
イデオロギーといえば、だれしもかつてのマルクス主義を思い浮かべるでしょうが、私がいうのは、そんな複雑、高尚なものではありません。手っ取り早く安心を得たいがために、自分好みに固定された思考の枠組みのなかに、自ら進んで嵌(はま)り込むことです。
自由主義を説きたいはずのもっちーが政治や法律の専門書を読まないために養老流のアナーキズムに嵌ったり、互いの価値を認める思想が欲しいはずのパクちゃんや蝶々が養老流の価値相対主義に嵌ったりしている。
そして、そもそも養老孟司や内田樹は利己主義を貫くために障害となる普遍的な法則を否定するための理屈を頭で作り出している。
イデオロギーの反対概念は、現実−−リアリティです。リアリティは激しく動揺し、不安定です。たえず波立っています。その波の頂点をとらえつずけるためには、極度の精神的な緊張と触覚の敏感さが必要となります。
私がいいたいのは、不安が必要だということです。言論人も実行家たれ、ということです。実行家は必ず何かに賭けています。賭けに打って出る用意なくして、安易な言葉を発してはいけないのです。
「世間一般ではこうだとされているが実はこうなのだ」ということが好きなはずの転妻のオバハンは「人物と学問・芸術は別」で「自分は観る派」の「道楽者」なため「実はこうなんて無い」という養老流の価値相対主義との見分けがついていない。