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〈連載―世界変動〉問われる「賢い」政府

 財政の出番であるのは間違いないが、不安もある。第一に、地球規模で十分な対策を打てるのか。1930年代にルーズベルト米大統領が公共事業などで失業救済を図ったニューディール政策は、財政均衡に配慮し中途半端になった。失望した英国の経済学者ケインズが40年に「民主主義下では戦時以外、十分な財政支出は政治的に不可能なようだ」と論文に書いたほどだ。

 もうひとつの懸念は、巨額の支出が利権を生み、資源配分のゆがみをもたらすことだ。特に日本は「土建国家」と評された公共事業偏重の仕組みが長年、政治腐敗の温床となってきた。

 「米国では、規制緩和を推し進めたレーガン政権、最近のブッシュ政権下でも、いつも政治が経済に介入してきた。『政治から中立な市場』というのは幻想に過ぎない」

 「たとえばアフリカのマリでは、南部の綿栽培と北部の牛飼育が2大産業だったが、『市場開放』で大きな打撃を受けた。米国は自国の綿栽培業者にマリの国家財政を上回る補助を与えて、EU(欧州連合)は牛1頭ごとに年500ユーロ(約6万円)の財政支援をしている。マリ政府は『援助や助言はいらない。ただ、われわれに求めた市場開放を、欧米にもあてはめてほしい』と訴えている。自由市場というのは幻想で、これまでも各国は、自国優先の原則で行動してきた

しかし危機に際しては、『重大な政治決定』が必要だ。

同時に、中央に権限を集中させる社会主義システムが、資本主義より機能しなかった歴史も忘れてはならない

 「今回の危機で明らかになったのは、資本主義の全システムが『信頼』の一点に支えられているということだ。信頼が崩れたら資本主義は破局を迎える。(戦後の国際金融の基本になった)『ブレトンウッズ体制』に代わる仕組みが必要だが、それはより政治的なシステムであるべきだ。人々に信頼を与え、市場を組織化し、制御可能なものとするべきだろう」

 「自由には、外部からの制約がないという意味での消極的自由と、各人が自己実現できる状況をつくるという意味での積極的自由のふたつがある。後者は共同体的なもの、公共の利益を求めるものだ。近年の米国で主流だった消極的自由は、すっかり行き詰まってしまった。今日の状況をみると、経済的な安全保障もまた、社会が守るべき自由の一部だと考えるべきだろう。積極的自由の考え方をとる必要がある」