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【すくむ社会第1部】益川教授「ノー考えるデーは困っちゃう」 『考える』の空洞化(7)

 昨年12月、ストックホルムでのノーベル賞の受賞演説も日本語で通した益川敏英京都産業大学教授(69)は「英語が大の苦手」と思われがちだ。


 ところが、研究室の書架には難解な数学書と並んで、分厚い英語の専門書がずらりと並ぶ。「学術論文は高級な文章ではないからね。単語さえ分かっていれば読めば分かる。漢文のように読み下している」と自分の流儀を説明した後、少々誇らしげに付け加えた。


 「むしろ、英語が得意な同僚よりも論文を深いところまで読んでいましたよ。行間を読むとか、この人がなぜこういうことを書くのかという心理学ね」。筆者の過去の論文も踏まえて、その意図ごと読み込んでいく。思考の精緻(せいち)さにかけて右に出るものはいない。

 「女房がいると、話しかけてくると思って身構えちゃう。研究室だと学生が質問に来るから集中できない。でも喫茶店ならざわざわしていてもだれもしゃべってこないでしょ」


 静まり返った場所よりも、むしろざわつきがあった方が集中できる。喫茶店、散歩中の街角、最近では琵琶湖岸の別荘でクラシックを聞きながら考える環境が気に入っている。ざわつきが、気になるほかの音を消してくれるという。「だから頭のなかは逆に静まっている」。

 「平安時代、本は片手で数えるほどしかないから、同じ本を1度読み、2度読み、写本までしていた。彼らからすれば、新刊を買ってきて、斜め読みしてポンと積んでおくような、現代の消費文化は『なんじゃい今は』と思うだろう。おれたちはここまでして深く読んだんだぞ、と」