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團藤重光・高校生のための「裁判員反骨ゼミナール」

團藤 生きた社会の変化に対応するには、判例が動いていかなければなりません。ところが「先例遵守」のアタマで凝り固まって、判で押したように判例を踏襲してしまうと、法が社会から遊離してしまいます。そんなことがないように、社会と法が共に進歩していくような制度の考え方には大賛成です。


伊東 法には、それが定められた時、守っていくべきと考えられた、重要な本質があるはずですが、それが記されているはずの条文が、時代の変化の中で必ずしも実質を伝えなくなってしまうことがある。あるいは社会と条文が乖離してしまうこともごく普通に起こることである、それを動的に修正しつつ、本質を保ち、あるいは強めていくことが「法的安定性(Die Rechtssicherheit)」という重要な概念の動的な実質であると。


團藤 まさにその通りです。

伊東 そのように過日、お教えを頂きました。それはまた、法に無知な一般公衆の一過性の感情や要求を、裁判に反映させよう、というようなものでは絶対にあり得ない、と。


團藤 当然です。それでは何のための法だか分からない。


伊東 実際これでは、ベッカリーア(「罪刑法定主義」を確立した18世紀イタリアの法学者)以前に行われていた中世の恣意的司法や、ヒステリックな民衆裁判への逆行と変わりません。


團藤 そうですね。


伊東 まして、マスコミが視聴者大衆を焚きつけて、極悪人の印象を植えつけた被告人を片っ端から死刑にして留飲を下げさせるような「民意」とは似ても似つかないと・・・。


團藤 とんでもない。けしからんことです。

伊東 それをもっと一般化して考えるのが大切そうです。團藤先生が大塩平八郎の次に読まれたのはドイツ語の原書だったわけですよね。


團藤 そうそう、次というか、同時にね。当時は毎日、本当に緊張してね、何というんだろう、意気に燃えていたね。とにかく自分の人生の門出でしょう。大学の門出は人生の門出だからね。だから何でも片っ端から読んだ。僕が一番初めに読んだ原書はイェーリングのローマ法の歴史だね。ローマって、法科に入るとローマ法から始めるでしょう? そうするとイェーリングを抜きにしてはだめなので、イェーリングのローマ法の歴史、『法における目的(Der Zweck im Recht)』そればっかり読んでいた。それと『洗心洞箚記』、さっきの大塩平八郎のね。あれは面白いですよ。

團藤 最初は、訳が分からないのが一番いいね。だって初めから分かったようなつもりになっちゃったら伸びないものね。何でもいいから、分からないことにぶつかっていく。ぶつかっていくことが一番大事だ、何でも。だから、法律を始めてみたけど面白くなくて、理科を始めたと言っても全く構わない。理科をやっている間に、また法律に興味を持ったらそれでもいい。

團藤 誰かに言われて、例えば今日、僕がああいうことを言ったからそうしようというのではだめなんだ、自分でそういうつもりになってやらなきゃね。それが一番大事。

團藤 その主体性が一番大事。

團藤 例えば、自然法なんて何のことか分からないでしょう。

團藤 陽明学は以心伝心、いわく言い難しの部分で、それは自分で勉強しなきゃだめだな。

團藤 僕に正解を聞いたってだめだよ。

團藤 言葉の問題じゃないからね。自分でその意味を考えてごらん。

 その中でも『四書五経』『論語』や『孟子』ばかり読んでいても、何のことか分からないでしょう。言葉は分かっても、それだけのことでその精神をしっかりつかむためには、もっと大きいことを、その奥にあることを考えないと。奥にある実際の働きね。

 法律だってそうでしょう。今の民法、刑法なんていうのも、実際にどういうふうに世の中が動いているかを見ることが大事でね。僕なんかはそれを見ていたわけだけどね。そういうふうに今の陽明学を勉強するということは、当時の法律がいかに動いているか、世の中がどうあったかということを見るわけでね。

池田君 私は今、高校3年生なんですが、先生が高校3年生でいらっしゃった頃は、自分の将来に対して何をお考えだったんでしょうか。


團藤 どういうこと?


池田君 ご自分の将来、どんなものになりたいか、とか。


團藤 将来は大人になると思っていたね(笑)。


一同 (笑)。


團藤 本当だよ。大人にはなる、そこで何かはやるんだから、その中で好きなところを選んでいけばいい、というので初めは何も考えなかった。まあ、法学部でしたから、法律関係のことをやろうとは思っていた。だけど大学とか最高裁なんてことは全然考えてもみなかった。何でも構わないの、何か限定しないで自由自在に考えることが大事。

團藤 我妻先生は民法の大家だから、当時は若かったけどね。夏休みの始まる頃に行って、夏休みはどんな勉強をすればいいでしょうかと伺ったら、この雑誌を読んでみなさいと。新しく到着した『ツァイトシュリフト・フュア・ゾツィアレスレヒト』。ゾツィアレスレヒトはソーシャルローね、社会法。新しい号が到着して、それを君に貸してやるから好きなものを読んでみたらと。それを見たら、ゴルトシュミット(Goldschmidt)の経済法のことが書いてあって、それが面白くなって、経済法のことを一生懸命勉強してみようと思った。ところがその頃は大学も何も大したことなくて、参考書がない。上野図書館にもない。どこに行ってもないので、結局大したことにはならなくて、でもとにかく300ページぐらいのものにまとめて、先生に提出したの。

團藤 だいたいそういうことで、実は経済法から勉強を始めた。だけど、経済法もいいけど、そのうちに経済法には、民法の我妻先生のところに川島さん(川島武宜1909〜1992)という方がおられて、それからその後もう1人別な人が来て、それから助手も来栖君(来栖三郎1912〜1998)がいたから、結局、刑事法にしようということにした。それだけですよ。

團藤 その頃はね、刑事法は牧野先生(牧野英一 1878〜1970)と小野先生(小野清一郎 1891〜1986)と、お2人がこう、チャンチャンバラバラで。大変だったんだよ。両方のお弟子ということは考えられないので、とにかく小野先生の方が若いから小野先生の方に行こうと思った。確かに仲が悪いんだね。正月に小野先生のところにお年賀に行って、それから牧野先生のところにも伺おうと思っていたら、小野先生は「あんなところには行かんでもいい」と。それですっかり小野先生に見切りをつけたの。立派な方だけど、いやしくも自分の恩師だろう、学生とは違う。「あんなところに行かんでいい」ということはないだろう、と思って。じゃあ、ぜひ行ってみようと思って小野先生には黙って牧野先生のところに遊びに行ったんです。面白かったよ。

團藤 牧野先生の話は面白いんだ、談論風発で。法律の話を抜きにして、いろいろな話をするのが。

團藤 うん、それをしたらだめね。

團藤 牧野先生は世界的ですから。小野先生は日本で、仏教の方で偉いけどね。それぞれ別の角度から見るといいんですが。それで面白いと思ったものを、一生懸命やった。それだけのことです。

團藤 ええ、どうぞ、どうぞ。私は宮内庁参与で昭和天皇にはしょっちゅうお目にかかっていたんです。昼飯なんか、よくごちそうになって。ある時は陛下の右側に僕がいて、前に三笠宮様がいらして、3人でね。三笠宮様と陛下とは話が合わないから、僕とだけ話をなさって、とても打ち解けた話をなさってね。いい方でしたよ。

團藤 年に2回、春秋に園遊会があるでしょう。ある年の園遊会昭和天皇が回っていらっしゃって、家内も出ていたんだけど、ちょっと前に文化勲章を頂いたから、そのお礼を申し上げようと思っていたら、僕の顔をご覧になるなりに「トグちゃんのことをよろしくね」とおっしゃってね。トグちゃんというのは、東宮って分かる? 皇太子、今の天皇のことを東宮と言われて、トグちゃんのことをよろしくって。

團藤 それこそ「自由」ですよ。自由で自分の好きなようにするのが一番いいの、好きなようにすると伸びますよ。そうじゃなく、自分の性格に合わないようにすると伸びないですね。

團藤 ええ、コレが好きな人はこうやればいい、アレが好きな人はそう行けばいい、どんなにでも自由自在に、自由に考えればいい。どんなでもいいんですよ、誠意を持って取り組んでいれば。若いうちは、勉強を先輩に聞かないこと。先生にも聞かないことだね。

團藤 そうそう、自分が一番いいと思ったことが一番いいんだよ。そうしたら新しい学問ができていくでしょう。まだ今現在、地球上に存在しないものを作ろう、と、そういう気概を持っていなきゃ。僕の意見を聞いて、團藤がどう言ったからどうだということを考えているようでは、ケチくさいでしょう。もっと自由自在に考えればね。

團藤 みんな忘れてください、本当に。新しい制度だからね。僕は反対だけど、絶対に反対だけどね。だけど、できた以上は現行制度になっているんだから、それをちょっとでもいいものにするためには、どうすればいいかということを、各自で考えるのが一番いいんですよ。

團藤 どんな偉い人の言うことでも、必ずまゆにツバをつけて聞くことね。総理大臣だろうが、世の中の偉い人だろうが。僕の言ったことなんか論外だよ。全く無視していいんだ。むしろあえて無視した方がいいぐらいで。

團藤 だからね、今日の話も酔狂に聞いたことぐらいにしておくのがいい。参考にはなると思いますよ。僕も自分なりにいろいろな経験をしているから。経験を元に、決していいかげんなことを言っているんじゃないんだから。だからそういうつもりで僕の言ったことを覚えていて、そして反芻してごらんなさい、ただし拘束されないでね。


 僕が言ったからあれがいいんだ、ということじゃなくて。そう考えるようではもうおしまいね、進歩がないでしょう。その上に出ていくつもりで、横に出るつもりで、上でなくていいから、別の可能性があるんだから、横に出るつもりで。下じゃだめだよね。自由自在に考えることが一番大事でね。この人も何でも自由に考える方だから。

今日のまとめ
伊東 今日の内容を「裁判員制度開始の日」としてまとめてみます。まず第1に裁判や法の権威主義、先例主義に追随しない。


團藤 その通りです。


伊東 それから第2に不勉強はいけない。自分の持っている先入観や予断、偏見で、誤った結論を決して下さない。


團藤 勉強は徹底的にやらなきゃだめですよ。


伊東 そして1と2を合わせたようなものですが、第3に、権威者に「正解とされるもの」をあらかじめ聞いて、右に倣え、とはしない。今の模擬評議を見て危惧感を覚えるところです。


團藤 全くだね。


伊東 いつ誰が裁判員になるか判らない時代ですから、泥棒を捕らえて縄をなう、ではなくて、第4に、国民全員が、おざなりな義務感ではなく、自分から興味を持って法律や裁判の本質について自分のアタマで考える、そういう「互いに動く法と社会」の発展を、日本は目指すべき、であると・・・。


團藤 そうなって初めて、実体が出てくるわけね。


伊東 そして最後に第5番目、難しい問題、例えば死刑制度や天皇制・・・女帝問題なんかもありましたね・・・。そういう問題でも、紙の上の知識で分かったつもりになるのでなく、つまり朱子学や今の受験勉強、ペーパーテストで字句の解釈に捉われるのでなくて、常に動く実体に即して考え、判断し、自ら過去に下した判断や成果も疑い、時には否定しながら進み続けること、そしてそういう教育の重要性ですね。


團藤 自分で勉強して、自分で考えて、自分で判断する。偉い人に縛られない。自分自身も含めて、動く社会の実体とずれていないか、それから流行に流されたりして、そこで本質が疎かになっていないか、いつも疑い続けるわけだよ。


伊東 そういう本質的な「反骨精神」ですか・・・。


團藤 うん、反骨精神。