https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

平野貞夫の国づくり人づくり政治講座 第29回 《『政(まつりごと)の心』を求めて》 第16回 ―「 日本の議会政治の反省(8) 」―

まず武村氏は平成5年8月の非自民連立政権樹立のとき、自分が首相になれると思い込んでいたが、細川氏が首相になったことに対する嫉妬というか自分の権力欲を充足できなかった心理が、細川政権の運営を困難にしたのである。細川首相が退陣直後、私が武村官房長官について正したとき、細川氏は「武村氏は、細川内閣が成立した日から倒閣運動を始めていた」と語ってくれたことがある。

問題の「国民福祉税」については、生前の後藤田正晴元副総理から「武村君から事前に話を聴いていた」と、当時の事情を聞かされたことがある。

武村氏の細川政権時代のテレビでの話が、あまりにも虚言なので、TV朝日に抗議しようと考えていたところ、9月10日の産経新聞に成田憲彦元細川首相秘書官が次のような談話を載せていた。


「細川内閣時代には、当時、新生党代表幹事だった民主党小沢一郎代表代行による“二重支配”が指摘され、今も同様の構図だと指摘する報道があるが、事実ではない。小沢氏は細川元首相の言うことに従っていた。」

日本で健全な民主政治による政権交代が何故行われなかったか。自民党や官僚がそれを妨げていたことも理由の一つではあるが、もっと悪質なのは政治改革を主張する政治家の中に偽物がいて、自己の権勢拡大に利用していたことである。悪夢の「自社さ政権」は武村氏の積極的協力がなければ実現しなかった。政治家鳩山由紀夫氏の最大の功績は、民主党結成のとき武村正義氏を排除したことだ。武村氏が参加していたなら、今日の政権交代はなかったと思う。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090917#1253176799