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行動経済学の本質、それは「にんげんだもの」にあった!

日本に来て、すぐ相田みつを美術館に行ってみたのです。もちろん初めての経験でした。彼の残した書の言葉は実に素晴らしく、心を打たれました。印象に残ったのは、“しあわせはいつもじぶんのこころがきめる”というフレーズと、“にんげんだもの”です。行動経済学に通じるものがあります。

感動して、思わず「相田みつをTシャツ」まで買ってしまいました。

 伝統的な経済学では、人は合理的で、常に最適な選択をすると仮定して理論を構築してきました。経済学に登場する「人」は、常に感情に振り回されず、とても抑制が効いて判断を間違えず、飲みすぎて二日酔いになることもない。でも、行動経済学が考える「人」は違います。感情に振り回されることもあるし、しょっちゅう判断を間違える。時には飲みすぎて二日酔いになる。人間には「心」があるのですから、仕方ありません。まさに「にんげんだもの」ですよね。

左翼的な人は、すぐに何かを禁止したり、法律で縛ろうとしたりします。例えば米国では、健康に悪いから学校ではコカ・コーラを禁止しよう、と運動する人たちがいる。極端な例ではありますが、こうしたやり方はあくまで上からの強制であって、人間的な対応ではありませんね。

 逆の極端な例は「レッセ・フェール(なすに任せよ)」、まさに自由放任主義のやり方です。人は何が自分にとって最善の選択かを知っているのだから、政府は強制すべきでない、好きなようにさせよというものです。

しかし「リバタリアンパターナリズム」の考え方は政治的にこの中道を行きます。「無理強いはしませんが、お手伝いします」というスタンスです。強制はしないのですが、本人が自ら、本当に望ましい選択をするように誘導するというか、もって行くというか――。そういう仕組みのことを言います。

 自由主義者を意味する「リバタリアン」と親が決定するという意味の「パターナリズム」は反語だと言う人もいます。でも、この2つの考え方は共存できるのです。

 リバタリアン(絶対自由主義)とパターナリズム(父権的温情主義)の中間に、人々の幸福が増える第三の道がある。

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