【書評倶楽部】資生堂名誉会長・福原義春 『人間の器量』福田和也著
人間の器量を明快に論じ、単なる能力や才智のようなものだけでなく全人格的な魅力・迫力・実力があってこそ器が大きいと認められるのだと説く。
世の中の人たちが人物・人材を育てようとして来なかった。それに人を測る物差しが単純すぎるのではないかと指摘する。
しかしこの人たちは濁った水の中に生きても清濁合わせ呑(の)むような人物であって、それが近代や戦後ならいざ知らず、現代では生まれにくくなっているのではあるまいか。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080725#1216967274
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100121#1264038881
「水清ければ魚棲まず」というのは「明なれども察に及ばず、寛なれども縦(しょう)に至らず」ということ。