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わかりやすい国会の話(第9回)明治時代の議会政治(3) ―― はじめての衆議院解散と選挙大干渉

 2回目となる衆院選挙は、明治25年2月15日に行われたが、これが憲政史の汚点といわれる品川弥二郎内務大臣による選挙大干渉であった。その方法は(1)投票の買収(2)民党派の候補者の告発(3)民党派の選挙人が投票所へ行くのを妨害する(4)警察官を戸別訪問させ民党への投票を監視するなどであった。政府が選挙干渉に使った資金は巨額なもので、内閣機密費が使われたといわれている。


 最も惨状をきわめたのは、自由党の発祥地・高知県であった。警察官や送りこんだ政府系壮士による悪質な選挙干渉に対して、民党の壮士や住民が抵抗し、各地で刀や槍、鍬や鎌で実力行使に出たため内戦状況となった。さらに軍隊が出動し、死者は10名に及んだ。衆院選挙の結果は民党に痛手を与えたが、それでも163名が当選し過半数を制した。

 わが国での国会運営の特徴は、明治憲法下でも新憲法下でも、与野党の主張が激突して国会運営がどうしようもなくなったとき、議長が「斡旋」とか「裁定」ということで、事態を正常化させることである。この「議長・時の氏神」の原形は、「天皇」を使うものであった。