「子ども手当」は脱官僚の試金石|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン
「子ども手当」が本来持っている思想とは、
?子供の人数と年齢以外に条件を付けずに人を平等に扱う(単純で平等)、
?負担と合わせて考えると低所得者に相対的に厚い富の再配分(貧者に優しい)、
?官僚が権限や裁量を発揮したり、官製の事業に予算を使いOBを喰わせたりする余地がない(脱官僚)、
?使途は自由で政府は国民生活に介入しない(生活への不介入)、
といったことだ。
民主党政権が生まれた直後から、幾つかのメディアは、マニフェストを現実的に修正することが大事で、子ども手当も支給額を見直す必要があると言い始めた。選挙終了直後からの公約破りのススメとは驚くが、「財源がないから、子ども手当は満額支給できない」という奇妙な理屈を流布し始めた。
これがなぜ奇妙なのかというと、他の支出には予算が付いているからであり、また、既に新規国債はたっぷり発行されているからだ。
今年度予算を決める昨年末に、官僚機構は当時の藤井財務大臣の口を使って、新規国債発行上限約44兆円という「蓋」を乗せた。子ども手当の最初の半額支給(子供一人1万3千円)は仕方がないが、翌年度からの満額支給は阻止するという仕掛けだ。
ついに、「子ども手当」推進の先頭に立つべき長妻昭厚生労働大臣も、来年度の満額支給は財源の関係で難しいかも知れないと発言するようになった。
攻撃側は、まだ手を緩めない。大手メディアと官僚は持ちつ持たれつの緩やかな共同体だが、『読売新聞』は6月28日の紙面に「子ども手当 半額支給維持も容易ではない」という社説を掲げた。官僚への援護射撃だ。
学者や評論家からの横槍もある。
小沢氏はこの問題で執行部との対決姿勢を鮮明にしているが、共感は広がっていないようだ。