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仕事とは何か、人は何のために働くのか

「どんな問題を選んでもよいが、それをやらなければ生きてはいけない、そんな問題を選びなさい」

上原先生は、知ると解るの違いを区別されていた。「『解る』ということは、それによって自分が変わること」だと言われる。「何かを知る」だけでは、自分が変わることはない。今までの自分に、何かが加えられるだけだ。だが、「解る」というのは、知る以上のことであり、自分の人格やこれまでの生き方の変更を迫るものだというわけだ。

卒論であれ何であれ、知りたいテーマを選ぶだけでなく、「解る」に迫るような、つまり「自分の生き方」に関わるようなテーマを選ぶ。あるいは、人から与えられたテーマであっても、「自分の生き方」に関わるようにテーマを設定し直す。そうした覚悟が必要なのだ。

生き方に関わる研究テーマを持つ。そのことの値打ちは解りにくいかもしれない。しかし、研究者には必須だ。なぜなら、自分の生き方に関わるテーマであれば、「研究で導き出したこの結論は、正しいかどうか」を、自分の心に問うことができるからだ。自分を懸けるのか、口舌の徒で終わるのかの境目はそこにある。

たとえば、導き出した結論が常識と食い違っていたとしよう。しかし、自分の心に問えば、どう考えても結論が間違っているようには思えない。それも、自分の生き方が関わってそう思うわけだから、その確信は強い。そのとき、「常識のほうが間違っているのではないか?」という疑問が生まれる。常識に抗しうる自分の立脚点が、そこに生まれる。

自分の結論が間違っているのか、常識が間違っているのか、それはその段階ではわからない。もしかして、自分の結論ないしは立脚点が間違っていることもありうる。だが、そのことが解る瞬間とは、まさに自分の知らなかった世界が開ける瞬間でもあるのだ。

文書館に通い、古文書を紐解く日々が続いた。そのうち氏は、形而上学的な一つの疑問を持つに至った。ドイツ騎士修道会の何が解ったら、ドイツ騎士修道会が解ったことになるのか」と。トートロジカル(同義反復的)で意味のない疑問に思えるかもしれない。だがそうではない。研究者には、避けては通れない問題なのだ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090713#1247471495
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20071223#1198403419