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「政治家による恣意的な人事は官僚を“政治化”させる。 公務員制度改革の前に政治主導の姿を明確にすべきだ」 ―― 元一橋大学経済研究所准教授・田中秀明氏インタビュー|DOL特別レポート|ダイヤモンド・オンライン

 これまで、しばしば、「官僚主導」が批判されてきたが、それは、官僚がなんでも主導してきたというものではなく、官僚と与党の族議員たちが連携して意思決定を行っていたことである。その結果、本来意思決定の中心にあるべき内閣が空洞化していたのである。公務員は、本来その大臣や首相に忠誠を誓うべきであるが、与野党議員と濃密に接触し、利害調整を行っていた。また、自らの利害を持ち、組織防衛的な行動もしばしばであった。簡単にいえば、官僚が「政治化」していたといえる。

 イギリスでは、公務員は事務次官に至るまで、能力や業績によって任命する「資格任用」が原則とされている。公務員には厳しい政治的中立性が求められており、原則的には自分の属する省庁の大臣、副大臣にしか接触できない。そして、中立な立場で、事実に基づいた偏りのない分析・検討をする専門性が求められている。内閣はそれに基づいて政治的な判断を行うことになる。こうした仕組みを担保するために、特に幹部公務員の任命には内外公募が重視されており、競争原理が貫かれている。


 一方のアメリカは、大統領が省庁の局長以上を任命する「政治任用」の仕組みを採用している。政治任用された公務員は大統領の分身・家来となって、大統領の政策目的を実現するための政治的調整を行う。そのため、猟官運動は日常茶飯事で、選挙応援をした者が登用されることもしばしばだ。イギリスでは、政治的中立性を守るために公務員には身分保障があるが、アメリカでは、政治任用される者には身分保障はない。

 ただ、どちらの国も「資格任用」または「政治任用」の公務員だけで構成されているのではない。どちらも両方の公務員が存在している。


 イギリスでは、一般公務員から次官に至るまで資格任用の公務員だが、大臣の秘書官やそのアドバイザーは政治任用されている。アメリカは、大臣のアドバイザーなどはもちろん、局長以上は政治任用だが、課長・部長は、一部を除き、資格任用されている。

 日本の制度の建前は、基本的に英国型だ。しかし、イギリスと日本には大きな違いがある。それは、日本はイギリスと異なり、大臣が公務員の任命権を持っていることだ。

 大臣が公務員人事に介入する一方で、大臣はすべての人事を把握することはできないため、省庁の人事部局が自身の人事を決めることになる。すると、大臣へ根回しする猟官運動や政官の貸し借りも多くなる。また、省庁自身が自らの利害を持っており、公務員は政治化しているといえる。

 私は、公務員を資格任用し、中立を建前とする英国型がふさわしいと考えている。ただ、「公務員が常に中立的か」というと、それは判断が難しい。したがって大臣の周りには、イギリス同様に大臣と一心同体となり、公務員の分析や提言を判断できる政治任用の人たちが必要だ。つまり、資格任用と政治任用の公務員の役割分担が求められる。

 他国も、かつては日本のようにセクショナリズムが強かった。しかし、公務員ポストの公募を増やして、流動化、競争原理の仕組みをいれることによって変わることができた。イギリスは、1979年サッチャー政権以来、20年を超える改革を行うなかで大きく変わった。

 そもそも、天下りの問題がなくならないのは、公務員が「プロフェッショナル」ではないからだ。公務員にマーケットで評価される専門性があれば、役所の斡旋は不要である。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100831#1283246325(経済データに即して点検していく姿勢が大事)