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羅針盤なき漂流船「ポチ菅丸」が出帆した

70歳以上の方は記憶にあるだろうが、1941年12月8日の真珠湾攻撃直後、日本軍がシンガポールを陥落させ、占領したとき、朝日、読売、毎日新聞は「観呼」の声を上げ、国民をそそのかした。全国で「鬼畜米英」「天にかわりて不義を撃つ」と提灯行列が行われた。そして、直後から敗戦の坂道をころがり落ちた。今回のマスコミの異常な「小沢叩き」が私には69年前の情景とダブって映るのである。

 それでも、代表選はやってよかった。小沢の話を聞いて多くの国民は、初めて民主党の「改革」を理解した。与野党の別、また主義主張を超えて、国会議員は「政治家の覚悟」を思い知らされただろう。

しかし、菅は官僚とアメリカに屈服する安易な道を選んで、小沢という羅針盤を捨てた。菅の改造内閣の顔ぶれが明らかになったとたん、アメリカの「高官」たちが、そろって「歓迎」の意を表している。菅とともに外相に「対米従属派」の前原がなったことには、ムキ出しの喜びぶりである。

マスコミは、チャンスを見て旧勢力復活のために、暗躍するだろう。それが悲しいことだが現下のマスコミの本質と役割だ。旧勢力への「御恩返し」である。

 そう遠くない将来、小沢一郎の存在価値が「多数」に理解される日がくるにちがいない。気がかりなのは、「多数」がこのことに気づいたとき、「手遅れだった」ということになることである。