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小沢一郎の片面しか伝えない化石メディア

たとえば、農村の百姓は「正直なれども玩愚なり」とし、都会の市民は「怜悧なれども軽薄なり」とする。


そこで、百姓と市民とが、目的や立場をはっきり交通整理しないままに論争すると、百姓は市民を「軽薄児」と言い、市民は百姓を「玩陋物」と罵ることになる。


喧嘩することが目的ならば、メダルの片面だけを見て、互いの欠点をあげつらえばいいが、それでは何物をも生み出さない。感情的亀裂が残るだけである。


現代の大新聞の論説は、まさに、両眼で両面を見ることをせず、片眼で片面を見るのが常である。

小沢氏こそ、旧来の官僚支配体制から、政治家主導による新しい政治を求めて活動をしてきたのではなかったか。その実現のためのリアル・ポリティックスとして、人を結集する必要があり、それなりの資金も投じなくてはならなかったのではないか。

こうしたなかで発足した「菅改造内閣」が、官僚支配に目をつぶったまま、星浩氏の取り上げた政府高官のアイデア、すなわち自民党との連携に走るようなら、ますます「政権交代」の根本的意義が問われることになる。