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新版 所有権法の理論

品切重版未定

新版 所有権法の理論

新版 所有権法の理論

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我妻栄 - Wikipedia

我妻は、師である鳩山の研究に依拠したドイツ法由来の解釈論を発展させて、矛盾なき統一的解釈と理論体系の構築を目指すとともに、資本主義の高度化によって個人主義に基礎を置く民法の原則は取引安全、生存権の保障といった団体主義に基づく新たな理想によって修正を余儀なくされているので、条文の単なる論理的解釈では社会生活の変遷に順応することはできないとした上で、「生きた法」である判例研究の結果に依拠した法解釈を展開した。このような我妻理論・体系は、鳩山、末弘、穂積の学説を総合したものといえ、理論的に精緻であるだけでなく、結論が常識的で受け入れやすいとの特徴があったことから学界や実務に大きな影響を与え続け長らく通説とされた。

「近代法における債権の優越的地位」−ある法学者の決意−(初心忘るべからず)

大正九年に大学を卒業するまで、鳩山秀夫先生から、法律を論理的に考えることを訓練された私は、さらに、卒業後に、牧野英一、穂積重遠、末弘厳太郎三先生から、法律制度をその社会的作用を中心として考察すべきことを教えられた。そして、留学三年の間、アメリカでは、専ら社会学を学び、ドイツとフランスでは、主として、経済学や社会主義の文献をあさり、民法を専攻する者として、いかなる途を進むべきかに苦慮した。

前に一言したように、卒業して民法専攻の学徒になろうと決心したときに、私は、東京大学民法講座を担当する者として、いかなる方法論をもって進むペきかに、思い悩んだのであった。鳩山先生の拓かれた途を安んじて進み得るなら苦悩はない。しかし、牧野英一先生や穂横重遠先生の教えを受ける機会をもち、ことに、留学から帰って解釈法律学に対して痛烈な批判の鉾を向けられた末弘厳太郎先生の論難に接するに及んでは、立っている足許の崩れるような不安と焦燥に襲われざるを得なかった。アメリカで社会学を学び、ドイツ、フランスで経済学や社会主義の文献に親しんだのもそのためであった。しかし、帰朝早々、民法の講義をはじめるに当っては、相変らず解釈論を講じなければならない。民法の講座を担当する者にとって、解釈論は逃れ得ない宿命である。しかも、解釈論は解釈論として伝統的な途をたどり、経済学や社会学の勉強はその他の教養としている態度には到底満足ができない。解釈論そのものの裡に、これらの研究をとり入れて、そこに安住の地を見出すことができないか。これが、当時の私にとっての苦悩の中心であった。そして、この苦悩を吟味し反省しようとしたのが、右の論文である。現在の若い学徒諸君が読まれたなら、わかり切ったことを、あれこれと持って回って、結局入口と同じところに出て来ただけだと感じられることと思う。まことにその通りである。しかし、当時、形式論理の正確を至上命令とする解釈法律学に対する反流がいろいろの立場からきびしく主張されたときに、解釈論をもって終生の任務としようとした私にとっては、今日から見てわかり切ったようなことでも、一応これを吟味してみなければ、安住の境地に達することはできなかったのだ。いま、私自身これを読んでみても、稚気愛すべきものがないでもない。私にとっては、いわば幼い日の想い出の写真である。だからこそ、筐中深く蔵して、自分一人で眺めて楽しむことにして、本書には収録しまいと思い惑ったのであった。しかし、ひるがえって考えると、今日でも、若い学徒の中には、同じような問題を考えている人も絶無ではないかもしれない。そんな人があれば、いくらかでも参考になるかもしれない。そう思って附録としたのである。

小室直樹 - Wikipedia
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20101010#1286668461