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ザ・特集:鳥取・岡山県境のウラン鉱床跡 人形峠から福島見れば

 「宝の山」発掘に集落総出で協力し、榎本さんも59年から3年間、坑内で働いた。ダイナマイトの爆煙が漂う中、泥だらけになってウラン鉱石を運び出した。人体への影響については「天然の放射能だから大丈夫」という公社の責任者の言葉を信じた。防じんマスクも配られなかった。

 坑道で働いていた榎本さんは、鼻血が出やすくなったことに気付いた。髪を指ですくと大量に抜ける。数年後、重症の胃潰瘍にかかり、坑内で働くことを断念した。


 「振り返れば、公社の連中は立派な防じんマスクをつけておった。健康被害の恐れを知っておったと思います」

 榎本さんら住民の闘いが始まったのは88年。山陽新聞が「ウラン採掘に伴い排出された放射性物質を含む土砂(残土)が、人形峠周辺の民家近くに放置されている」と報じたのがきっかけだった。

 1、2審ともに住民側が勝訴し、04年、最高裁で判決が確定した。

 榎本さんは今、福島第1原発事故後の東京電力や国、研究者ら「原子力村」の対応をこう感じている。


 「核燃もそうだが、何をしようが、しまいにゃ政治が面倒をみてくれるちゅう甘えを感じる。こちらが指摘せん限り、自ら対処しようとせん。先を読めん、いや、読めても言わんだけかもしれんな。結局、やっていることはわしらのときと変わらん。同じ穴のムジナだな……」