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『悪と往生』
P9

 さきに私は『歎異抄』は不可思議なテキストであるといったが、この『教行信証』もまた別の意味でまことに不可思議な作品であるというほかはない。何しろその大半が、先人思想家たちの引用文で埋めつくされているからだ。えんえんとつづく引用文の行間から顔をのぞかせる親鸞の肉声は、ほとんど一割に満たないのではないか。今日のいかなる学会においても、このような形で書かれた学位論文があるとして、まず審査を通過することは難しいにちがいない。それを一個独立の論文とみなすものは一人もいないだろう。
 親鸞は極小短編の『歎異抄』をのこすことによって、この不可思議なる長編作品の存在を後世のわれわれの目に印象づける僥倖をえたのだ。しかしその『教行信証』を仔細に読み点検するとき、そこからは数かぎりない引用文とかれの魂の格闘のあとが、激しい摩擦音を発して立ちのぼってくる。親鸞の個性的な思想がまばゆいばかりの輪郭を形づくって浮上してくる。