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元検事総長・但木敬一 福沢諭吉のフェア議論

 スポーツを除いた中で、フェアを最も強く求められるのは裁判であろう。国家・社会の正義とか公正の最後のよりどころが裁判であり、ここが崩れてしまうと世の歯止めがきかなくなる。だからこそ時の権力は、しばしば自己の目的を達成するために、裁判のかたちをとって公正さを装おうとする。

 彼を大いに怒らせたのは、明治7(1874)年の佐賀の乱、同9年の萩の乱を鎮圧した政府が、裁判という形式をとりながら、その首謀者である江藤新平前原一誠らの陳述・弁明すらほとんど聞こうとせず、判決のその日に斬首するという横暴なやり方であった。


 同10年、西郷隆盛らによる西南戦争が勃発し、西郷軍の敗色が決定的となってきたころ、福沢は、「大分県下中津士族同志総代猪飼麻次郎等」という形式を取って「太政大臣三條公閣下」宛てに「願書」を提出している。その内容は、休戦の命を下し、適当な地を選んで臨時裁判所を開き、西郷らに言わんとするところを言わせてやり、事実を明らかにし、法に照らして理非曲直を審判し、公平至当の処分をお願いするというものである。注目されるのは、世人に朝廷の処置を至公至平と感じさせるためには、特命裁判官を任命し、皇族、非役華族及び各府県士民の名望ある者を陪審官とし、鹿児島県士族の名代人を呼んで弁論に当たらせ、法廷を公開とし、新聞報道を許すのがよいとしている点である。裁判にとってフェアとは何か、この時代にこれだけの内容を指摘し尽くすことができた見識の高さに驚くばかりである。


 福沢は、西郷軍の者も皆、精鋭勇敢の士と評していたから、真実の願いは、「天下の義を一同す。是を以て天下治まる」(墨子)という国論集一による和平にあったのではなかろうか。