https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

【「転換への挑戦」特別編(上)】憲法改正は自主独立の行動 中曽根元首相

 −−正論特別賞の受賞にあたり、憲法改正を「私の生涯のテーマ」と言われました


 「政治家として歴史的に取り組むべき大きな課題は何だろうかと、常に考えてきました」


 「戦後に選出された政治家の一人として、占領中に制定された現行の憲法は、いいところもあるが、『マッカーサー草案』で創られ与えられたこと自体が問題。内容も問題だ。日本国民としての明確な自主独立の行動をしなければいけないのに、唯々諾々として、お下げ渡しのような占領下の憲法にいつまでもそのまま従うのは、政治家の本旨ではないとも思いましたね」


 「国会議員になれば一番取り組むべきことは憲法問題であり、占領が終われば速やかに憲法改正の行動に入れるよう政治勢力を結集すべきだと思いました。『国家主義者』だとか『右翼』だとか罵詈(ばり)雑言を浴びましたがね」


 −−現憲法公布後初の衆院選(昭和22年4月)で初当選されました


 「当時は外国軍隊に占領されていたから、晴れやかなネクタイを締める気持ちにはならず、過去の日本を追悼する期間でもあるという考えもあって、占領が続く間は黒のネクタイを締めました」


 −−当時の吉田茂首相には厳しい姿勢でした


 「吉田さんという人は、長い外交官生活の経験からか、マッカーサー占領政策に適当に対応しようとしたのでしょう。GHQ(連合国軍総司令部)の下請けみたいな要素もかなりあった。私は野党にいたので、吉田政権には激しくやりましたね。ただ、当時の私は28歳くらい、相手は60歳代でしたから、経験の差は痛感しました」


 −−首相公選制の導入に熱心でした


 「新しい主権在民という概念からすれば、首相を国民投票によって選ぶ方が腐敗をふせぎ民主主義が徹底されるのではないかと感じて、首相公選論を展開したわけです。憲法改正への意欲を国民の間に高めようという意識もあった。全国に『首相公選の塔』を建てて回りました。国民の賛同や費用負担もあって、1つ塔に当時5万円かかったのに180本くらい建ちました」


 −−自民党は昭和30年の結党以来「自主憲法制定」を掲げてきましたが、なかなか改正への空気が醸成されませんでした


 「保守合同自民党が誕生しました。民主党や改進党の大先輩である芦田均元首相とか重光葵元外相とかは改正論者だったし、旧自由党の中でも緒方竹虎元副総理、岸信介元首相もそうだった」


 「しかし、池田勇人元首相は、吉田さんの意を強く受けていて慎重論だった。次の佐藤栄作元首相は機を見るに敏で、国民世論や国際関係をみて十分に実行する条件が整っていないと判断されたのでしょう。でも佐藤さんは、個人的に話していたときは憲法を改正したいと言われていましたよ。その後の内閣でも、なかなか醸成されませんでしたね」


 −−中曽根内閣で憲法改正を「最終目標」に掲げたことがあります


 「自民党にも国会にも憲法調査会があったから、できるだけ活用して、現実政治に反映させて実行したいと、非常に熱心に考えてきたわけです」


 「しかし、首相に就任したときは、まだ内外の情勢が改正の好機を許しませんでした。改正には、衆参で3分の2以上の賛成がなければできない。憲法改正に反対論を展開する社会党は大きな壁でした。在任中にできなかったことは非常に残念でもあり、申し訳ないという気持ちです。歴史に対する責任というものがあります」


 −−小泉純一郎政権下で自民党が新憲法草案を作成することになり、前文を担当されました


 「前文については、直すべき第一のひとつだと思っていました。文章が未熟な印象を受けるし、他国民の計らいによって日本の独立が保たれているような中身だ。そこで、日本の歴史や文化、個性を入れ、過去と現在と未来を網羅しうるような内容にしようと考えてまとめたんですけどね」


 「結局、党として採用するには、まだ早かったということなのでしょう。発表されたものは自主独立の表現が不十分でした」


 −−昨年から、衆参の憲法審査会が始動しました。しかし、衆参のねじれや民主党内の政局が影響して進展はありませんでした

 
「残念ながら、われわれが考えていたようには活発ではなかった。国民の間には憲法は改正すべきだと思いつつも『今の憲法でもいいじゃないか』という気分もあるのではないか」


 −−安倍晋三政権に対し憲法問題で望むことは


 「新しい時代にふさわしい憲法を持たなければならないのは言うまでもないことだ。憲法問題の本質はどこにあり、そこから日本の現状をどう改革していくか、世界情勢にどう適応していくか。今の日本は惰眠を貪(むさぼ)っている状態だと思う。政治家が早く目を覚まして、動きをもっと強めていかなければならないと思います。日本は独立国家とはいえ、制定経過から自主憲法ではないんですよ」

【「転換への挑戦」特別編(中)】対中国、日本政府は主権と名誉を 中曽根元首相

 −−外交は中曽根政治を語る上で欠かせません。外交に取り組もうとしたきっかけは


 「国会議員になったときは、重光さんや芦田さんという元外交官の先輩がおられた。しかし、戦後の時点ですでに2人の考えは古いものになったと自分でも感じたわけだ。徐々に、2人を超えた新しい日本の外交的視野と理論をつくらなきゃダメだと」


 「昭和25年にスイスのコーで道徳再武装(MRA)世界大会が開かれるのに合わせて2カ月間、渡欧したし、28年には米ハーバード大の夏季セミナーに参加しました。政治家には教養や見識、語学が必要だと痛感し、海外の友人や知己を得ることも必要なことだと実感したね


 「欧米を訪問して国際関係を学び、そこで日本の外交戦略がどういう基本に立って行うべきかを点検してみたわけだ。まず、外交は日本の歴史と文化と伝統を守りながら国益を守っていくのが基本だと考えた。その上で、第二次大戦の反省も踏まえて『外交4原則』になったのです」


 −−「外交4原則」とは


 「国力以上のことをしてはならない、ギャンブルであってはならない、内政と混同させてはならない、世界史の正統的潮流を外れない。これは今でもあてはまることだろう」


 −−吉田政権で日米安保条約が調印されました


 「日本の安全保障と将来の発展を考えると、日米同盟を外交の基軸にすべきだろう。ただ、吉田さんの対米屈従的な政策には批判しました。旧ソ連など他国も意識すべきだろうと。当時は、米軍基地はできるだけ早く撤去して自衛隊が代わるべきだとも思いました」


 −−米軍基地については考えが変わったと


 「日本にとって米軍基地の意義が、当時と今日とでは違ってきた。米国にとっても、世界戦略が変わったし、日本に対してもよい子に育てようという考え方から頼るべき友人に変わったでしょう」


 「首相在任時に日米関係を最重要視したのは、日米同盟が世界平和の基礎にもなるし、特に中国や旧ソ連に対抗し日本が対アジア政策を構築する上で米国との提携が非常に重要な意味を持つと考えたからです。レーガン元大統領とは、自分の政権がマイナスになることがあっても、いとわずに協力し合いました」


 −−佐藤栄作元首相が唱えた非核三原則について、佐藤氏に「持ち込ませず」を入れて「二原則」から「三原則」にするようアドバイスしたと


 「そうです。『持ち込ませず』は、日本の平和国家としての意思を示す上で一番重要な要素と思ったわけだ。米国も『従う』と言えばいいと。非核三原則を是認してきたし、今でも是認している」


 「ただ、米艦船が領海通過や一時寄港のときに『持ち込ませずと矛盾しないか』と問題になりましたね。世界的常識や通念、相互理解や経済的協力の面から、おおらかにとらえるべきだとも考えていた。現実問題として、寄港前に核を降ろすのは難しいだろう」


 −−首相在任時は中国との関係も重視しました


 「昭和の日本が戦争を起こし、敗戦という屈辱的な事態を経験した過程をみると、明治以来の対中関係を抜きにはできない」


 「中国を意識させたのは徳富蘇峰先生でした。徳富先生は『大陸に手を出すときはよほど慎重にやらねばならない。中国を大事にしなさいよ』とおっしゃった。ナショナリストで鳴らした方がそういう認識を持っておられたわけだ。高碕達之助さんや松村謙三さんも、私を中国問題の後継者にしようとされているのを感じました。その思いを秘めて、周恩来元首相や胡耀邦元総書記とは特に個人的信頼関係を築きました」


 −−現在の中国は国力が上がり、覇権主義も唱えるようになりました


 「中国がなぜ覇権主義を唱えるかというと、中国は民族、歴史が底深く、文化的には先進国だったが近代においては政治的に後発国だったという面がある。日本が覇権主義に対応していくには、底が深く包容力のある、しかし毅然(きぜん)たる姿勢を持った外交体系を確立させることです


 「高碕さんや松村さんの対中外交は、平和、友好と同時に日本の主権と名誉を守ろうとした。お互いの名誉を守ることは重要であり、特に中国が大国化している今日においてはなおさらだろう」


 −−野田佳彦政権が尖閣諸島を国有化しました


 「当然支持します。歴史的にみても日本の領域だ」


 −−首相として初外遊が韓国でした。当時の全斗煥大統領と友好関係を築きましたが、対韓関係も昨年はぎくしゃくしました


 「韓国との関係は、歴史的に深い沿革がある。文化は韓国から渡ってきた。豊臣秀吉朝鮮出兵や、第二次大戦の体験がある。韓国との関係も非常に底が深い。こうした過去の問題を全て飲み込んだ上で、将来に向けて平和協力もしていく体系を相互間で確立していくことだろう


 −−民主党政権では「外交敗北」という言葉も出ました


 「民主党は、野党時代に本当の意味の外交を勉強してこなかったのだろう。だから、政権を取っても腰の定まった、長期的かつ持久力のある外交を展開しなかったし、できなかった。混合勢力から成る民主党では、対米外交にしても党内を統一させ、強力なものに仕上げることも困難なのだろう」


 「昨年、立て続けに起きたロシアや韓国、中国との領土問題も、過去の日本政府が敗戦以降努力してきた各国間の懸案事項を、積極的に打開しようとしなかったことに尽きるだろう。しかも、首相が短命で交代したことで強い政権も誕生できず、その虚を突かれたといえるのではないか」


 −−安倍首相にはどのように外交を展開してほしいか


 「まず第一に、首相の周辺に見識と実力を備えた人物を配置すべきだ。最近の政権にはそのような人員を配置せず、官僚任せになりすぎている。それが国民に不安感を与え、批判になっているのではないか。それと、中国の外交が張り出している。中国に対抗する必要も意味もないことではあるが、平和友好関係を確立しつつ、双方の利益を相互に擁護していくことだろう」


 −−安倍首相は集団的自衛権の行使について前向きです


 「この問題は、米大統領と首相との間の相互関係をいかに築いていくかだ。私も首相のときには心がけていました。例えば、首脳の意向を受けた双方の要人が月に1回、ハワイやサンフランシスコなどで必ず会って協議してきた。それには、首脳間の信頼感や政治家としての懐の広さや深さが非常に大事になる。『大陸型国家』の中国との関係を考える上でも、日本と同じ『海洋型国家』である米国との提携は必要です」


 −−原発政策が昨年の衆院選の焦点になりました


 「なぜ原子力の平和利用を訴えたか。日本にはエネルギー資源がないという問題があったし、石炭や石油に過度に依存すると公害の問題も生じる。価格や経費の問題もある。何よりも、科学技術の面からも日本が得た成果を子孫に伝えていかないといけないと思ったからです」


 原発については、制御しつつも活用すべき対象でしょう。日本のエネルギー政策の将来構造をみていくと、原発をより安全性を強めながら維持していくのが政治的妥当性ではないか。現在の功罪だけで判定して短期的に処理すべきでない要素もあるでしょう」

【「転換への挑戦」特別編(下)】安倍首相は勇往邁進し成果あげよ 中曽根元首相

 −−国会議員を50年以上務められましたが、国会議員はどうあるべきですか


 「民主政治の重要性はますます高まってきていると思います。民主政治は、国民を説得し、国民の支持を得ることが基礎になる。その上で、政治家は、内政や外交、あるいは過去・現在・未来の国民に対する責任も負う。非常に広い視野と見識で政治を行う必要性が最近は高まってきていますね」


 「いわゆるナショナリズムと国際性との調和は政治家と国民の双方の責任において行うべきものでしょうが、国民に対する展開力というものは政治家の責任として大きく強調されるときになってきている」


 −−首相になるには何が必要と考えましたか


 「日本の指導者になっていくためには、自ら恃(たの)むべき人生観なり歴史観、宗教性を持たなければできない。そういう点から、座禅をしたり外国旅行をしたりして、政治的発言をしてきたわけです」


 −−最近の国会議員はいかがですか


 「自己主張を持つ人が非常に少ないね。現状の物質的な達成に満足して、改革とか発展とかの意識が非常に減殺されてきている。これは、日本の政治が非常に萎縮している状況を示している」


 「革新力というものも衰えてきている。政治家だけでなく、国民も学者もそうだがね。昨年、山中伸弥京大教授がノーベル賞を受賞したのは一つの大きな刺激になったが、彼は10年以上も前から努力した成果が今日評価された。日本の実力をさらに充実させてノーベル賞を続々と受賞する人を輩出するような国の力を、今から政治も国民も持たなければならない」


 −−議員外交も昔と比べると活発ではありません


 「政治家に外交戦略が見えてきませんね。日本の文化などを世界へ発信したり、国際的な見識、認識を発揚したりする力が非常に足りない。明らかに勉強不足です。内政のしがらみの中でせめぎ合っているんですね」


 −−元首相が活躍した時代とは何が違うのでしょう


 「われわれは占領下で政治家になりました。独立を果たし、その後も独立国家としての新生日本をどういうふうに築いていくかということが、政治家になったときからの大きな課題としてありました」


 −−昨年の衆院選の結果、自民党が政権復帰を果たしました。再登板となった安倍首相に注文をつけるとしたら


 「勇往邁進(まいしん)して保守党の成果をあげよ。自信を持って、今まで自民党がたどってきた道の延長線上で日本の国際的地位、内政の改革等に邁進してほしい」


 −−安倍首相は憲法改正について、改正要件を定めた96条の改正に前向きな姿勢をみせます。96条改正は保守の成果をあげる一環になると


 「そうです。やはり、憲法問題は、目には見えないが現代の政治家が背負っている歴史的責任でしょう。日本の発展のための路線づくりにもなる。未来に向かって進む大事な基軸になる。単に法律論にとらわれずに国際性とか政治論を持って取り組んでほしい」


 −−民主党政権には厳しい見方をされてきました


 「国民も非常な失望と怒りを持った。その結果、衆院選の大敗につながった。自民党はその余慶を受ける形で政権を取れた。安倍政権には、これからの日本の体系や自民党の政策を国民の前に披露し、建設的に実現していってほしい」


 −−今年はどのような1年になるでしょう。漢字1文字で表すと


 「『新』だろうね。新時代の『新』だ。昨年は、米国で大統領選があったし、中国、韓国では新政権が誕生した。いよいよ政治の実効性を出してくるだろう。それに対応する日本の政治のあり方が問われるという時代に入ると思う」


 −−今の日本の政治情勢は、第二次大戦をもたらした昭和初期と重なるところがありませんか


 「それはないね。現象的には、平和と戦争は繰り返されている。しかし、まったく違う中身が生まれてくるのが歴史というものだ」


 −−ところで、毎年手帳の最後のページに「結縁、尊縁、随縁」という言葉を書いてきたと聞きます


 「昭和20年代末期からかな。自分の進む思想、生活の基準にしようとしたのです。『縁』という考え方は、哲学やいろいろな勉強や実践を通じて生まれ出てきたものなんだね。人間の生命や、生命からくる活力というものは、無(ゼロ)の世界から無限の世界に向かって活躍している。そこに生きる目標とか生きがいというものが生まれてくる


 −−「政治家は歴史法廷の被告席に座る」とおっしゃってきました。今でも「被告席」にいると


 「ええ、そうですね。命のある限り、政治家として歴史法廷の中で活動を続けていきます。自分では最善を尽くしたつもりであっても、後世の人からみたら批判されたり弾劾されたりすることがある。そういうことを覚悟して政治活動をしてきました。歴史の中に生きているという意識は非常に強いです」