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少年の風景(322)−映画館

え〜蒲田の話しを一つ。戦後、三国人との抗争を繰り返し、闇市を仕切った3人の民族派侠客? 蒲田の醍醐新宿の安藤上野浅草の高橋、と呼ばれた人たちがいたのですが、晩年の醍醐安之助 (勲二等) と縁がありお宅にお邪魔していると、有名俳優女優がご機嫌伺いに来ておりました。中でも裕ちゃん亡き後兄貴慎太郎が、親分から呼び入れてもらうまでは決して敷居を跨がなかったのが印象的でした。

醍醐のオヤジさんは、名馬とされたダイゴホマレなど7頭も馬を持っていて、馬主協会の理事長を終生やっていたのですが、昭和40年ころ、競馬ファンと言う男が訪ねてきて、応対した際、2億円の手形が落とせないと言う話しに同情して、初対面の男に同額の小切手を切り渡したが当然男は雲隠れとゆ〜アホなことがあり、でも懲りずに以後同様のことを続け、蒲田駅の両駅前の大地主だったのに、他界した時はマンション一棟とビジネスホテル一棟だけになっていました。
都議会議員としてギネスものの11期42年 (解散が一度あったので) を務め都議会議長を二度やりましたが、自民党東京都連に煽てられっぱなしでこれまた懲りず、スポンサーとして湯水の如く散財しておりました。
先祖は醍醐新兵衛という、日本史にも記されている人で、日本で初めて鯨取り船団を組織し、当時何処の国も領有していなかった樺太北限に日章旗(勿論今の日の丸ではないようですが)を立てて捕鯨の前線基地づくりをした人のようです。道理で子孫の安之助も鯨並の頭?と胃袋だったんですね。

今思い出しましたがそういえばその名前は聞いたことがあります。私の記憶違いでなければ都議会議長に醍醐安之助という人がいました。でもそういう人とは知りませんでした。たいした人物ですね。立志伝中の人物だ。伝記や小説になりそうな人ですね。その新兵衛さんも調べてみたい人物ですね。

実は醍醐さんの一周忌までに醍醐の評伝をと、遺族に法事の一ヶ月前に依頼され、知り合いだった速書きの脚本家池上金男即ち池宮彰一郎 (70歳にして小説家デビュー、四十七人の刺客他名作多数) を旅館に缶詰にし、拙い私の資料を元に3週間で脱稿出版と云う、醍醐のオヤジ顔負けの殴り込み作業をやりました。
一周忌当日一番驚いた人は、間に合ったことに喜んだ遺族ではなく…脚本で弟のプロダクションの危機を再三救ってくれた恩人の池上=池宮が、自分の恩人の醍醐の評伝を書いたと云う事を当日知った石原慎太郎だったようです。当然読むヒマもなかったはずなのに、この空話病作家池宮の小説を絶賛しておりました。政治家ですね。

残念ながら1500冊の私家本並みの初版でしたから当日無くなってしまいましたが、あのクジラオヤジのためにこれほど人が集まるとは思わず私も少なからず驚きました。
余談ですが、池宮が二度脱走し、NHK、新潮社、講談社に指名手配をかけましたら、素直に投降してきましたが、その分時間が押したため、最終章は、私の資料なんぞ無視して、醍醐が、蒲田駅からあたかも銀河鉄道999に乗って宇宙に還って行く、という何でもアリのチャンポン小説にしてくれました。
無頼の小説家が、無頼の傑人の小説を書くとこうなる…と云うシロモノでした。

【自民党総裁選】石原親子の『裏切り×無責任のDNA』 その3

慎太郎が当選するためには、このうち、自民党議席に割り込ませてもらう関係上、既に自民党から立候補を予定していた3人(宇都宮徳馬、菊池義郎、醍醐安之助)のうち、だれかに立候補辞退を強いる必要があった。
そのため、中曽根康弘に働きかけ、中曽根の力で、上記3人のうち、醍醐安之助に出馬辞退をさせるように働きかけてもらおうと考えた。
(現在、息子の伸晃がやっていることと、まるで同じようなやり方である。)


慎太郎は、この工作のために、中曽根の秘書をつとめていた島村宜伸氏(『てっぺん野郎』の中では、前代議士で元文相、農水相と紹介されている)と接触をした。
中曽根はわざわざ、醍醐の後援会に出向いて、「慎太郎が当選したら中曽根派に必ず入ること、(当時、都議だった)醍醐を都議会の議長にすること」という二つの条件付きで、醍醐は出馬を辞退することを止むなく了承させられた。

「石原さんが当選されたはいいんですが、約束したはずの中曽根派に来ない。あのときは正直、『なんて男だ』と思いました。
彼の口グセじゃありませんが、それこそ殴ってやりたかったですよ(笑)。


中曽根さんはあのとき本当に醍醐さん陣営を真剣に説得したんです。
石原慎太郎という男はやがて大きく伸びる』、『自分が責任をもって育てて、醍醐さんの志を無駄にしない』と、本当に命がけで説得したらしい。あとから話を聞くと、そんな中曽根さんに醍醐さんは心を打たれ、出馬をとりやめたそうです」

名誉都民小伝 〔平成3年顕彰〕 | 主題書誌データベース | 国立国会図書館
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